でも振り返ってみると、“運”と“人”に助けられ、励まされてきたことが多いなあと。コロナ禍で公演がなくなり、仕事がほぼゼロになってしまったので、新しく太鼓教室をひらこうと決めたんです。でも、太鼓は音が大きいから、なかなかいい物件がないんですよね。
でも、タイミング良く3階建てのビルを丸ごと破格で借りることができたうえ、生徒さんやご家族の憩いの場になればと2Fのフロアーにカフェを併設し、レッスンの無い時はパンケーキを焼いています。おかげで飲食業もできるようになりました。
東日本大震災のときもそうです。震災以前から周年コンサートを予定していたんですが、震災を受け急きょ『復興公演』という名目に切り替え、多くの方に応援していただきました。
復興公演の直後、被災地となった「太鼓の町」と呼ばれる岩手県の陸前高田に出向き、避難所となった体育館で支援活動の一環として太鼓演奏を行いました。その際、伝統行事“けんか七夕祭り”で使われていた山車が見つかったんです。その時にみんなが、“けんか七夕の開催を目指してがんばろう”と立ち上がり、“ぜひ國分さんも夏には陸前高田に戻ってきて太鼓を演奏してほしい”と言ってもらったんです。
そこで“全国の方に復興支援への思いを、もっと強くしてもらいたい”と考え、リヤカーに2尺の太鼓と多くの方の復興支援の思いを積み、けんか七夕開催日に向けて愛知県から岩手県までのおよそ1000kmを、各地で応援の太鼓を打ち鳴らしながら歩きました。行く先々で温かな言葉をかけていただいたことや、陸前高田をはじめとする各地域の被災されたたくさんの方との出会いの中から、ぼく自身大きな元気と勇気そして人生の目標ををもらいました」
もし7億円が当たったら?という質問には、「最高級の新しい太鼓がほしいですね」と笑顔で即答した。
「和太鼓には、聞く人を元気にする力があります。私自身が太鼓打ち・打激師としてさらに精進し、和太鼓を演奏することで、勇気づけたいです」
夢は壮大だ。