「旧国鉄マンも少なくなりましたからね。それはそれでサービス向上に繋がりましたが、撮り鉄を怒鳴り散らすような強面もいなくなりましたし、一応は撮り鉄も『お客さま』ですから、鉄道各社も昔に比べれば甘めですね」
国鉄時代に比べたら本当にサービス精神向上、優しい職員ばかりになったJR、私鉄もそうだが、かつてとの違いは『時代の流れ』であり、それはそれでいい事ずくめのはずだが、それに甘える「撮り鉄」を増殖させてしまったということか。
「もちろんそれだけではないですよ。デジタルカメラの普及も大きい。昔はフィルムでしたから、その場で確認なんかできませんし、すぐに作品を見ることも叶いませんでした。だからテクニックも要求されたし、そもそも鉄道撮影に耐えるカメラ一式となると高価なものでした。いまは気軽に結果がわかり、安価にスマホで撮影ができます。昔に比べればデジタル一眼レフですらプロ仕様を求めなければ安いし、肝心の現像代もかかりませんからね」
筆者も1990年代の新人時代、取材先でカメラマンを兼ねることがあったが「ちゃんと撮れているだろうか」と現像が上がるまで不安になったものだ。いまその心配はない。大掛かりな機材を持ち歩かなくても、ネット記事やモノクロページで小さく使う程度の写真ならスマホでも十分に耐え得るし、多めに撮影して保険もかけられる。昔は小さな出版社では現像代でうるさく言われることもあったがDTPの時代にあっては歴史の話。このハードルが低くなった時代の流れ、鉄道撮影の趣味にも同じことがいえるのだろう。
「でも一番大きいのはインターネットですね。それもSNSだと思います。ネットでも初期は自分の鉄道写真ホームページなんて作るのが大変でしたし、多くのホームページは拡散力皆無で誰も見てくれませんでしたが、いまはアカウントさえ取れば気軽に自分の作品がSNSで世界中に発信できる。その代わり、さっき挙げていただいたよからぬ事案も拡散される。行儀の悪い『撮り鉄』もまた世界中に可視化されるようになったということです」
SNSの普及はあらゆる社会の表層を可視化することになったが、かつての「バカッター」しかり、昨今の「撮り鉄」もそういうことなのか。
「あと撮れ高の相対化もあるでしょう。昔は写真を撮っても個人で満足、あるいは雑誌に投稿、もしくはグループや部活で見せ合う程度でしたからね。でもいまはSNSに上げても大半はスポットが限られますから、どうしても他の人と構図が似てしまう。有名スポットも穴場スポットもすぐネットで拡散しますから、集まる数も半端ない。人と違う写真を撮りたいとなると、どうしても誰もいない場所、つまり立ち入ってはいけない場所で撮影しようとするのではないでしょうか」