自分のことを書いてみようと思ったのは今から2年前、24歳のときだ。ヒオカさんの生い立ちを知る知人の編集者から、当事者であるあなた自身の経験を書くべきだと勧められて書いた「note」の記事は異例のページビューを獲得した。
本の中にも出てくる「可視化する」という言葉が、ひとつのキーワードになっている。
「『見えていない』という思いが自分の中に強烈にあって。裕福な家庭で育った大学の友だちと話したり、あと政治家の発言を見たりしていると、そもそも見えてないんだな、という実感が強くあったんですね。議論にもならず、何かあると真っ先に切り捨てられてしまう。
逆に報道で取り上げられるときは、えげつないところだけ抽出してセンセーショナルに書かれて、それもフィクションのような感じがしてしまうんです。もっと身近な、誰もが通るようなところでも実はこういう違いがある、っていうことを可視化したいと思いました」
見えてなかったものを見えるように書いたヒオカさんに対して、見たくない人たちから思いがけない反応が届くことがある。「note」の記事が「バズった」(アクセスが集中すること)ときには、匿名の心ないコメントもたくさん届いたそうだ。
「一時期はほんとうにひどくて、精神的にしんどくなってしまいました。ひどいコメントにはいくつか種類があって、1つは貧困を経験したことのない人からの、じゃあなんで高卒で働かずに大学行って、ライターなんて稼げないことをやってるんだ、というもの。もう1つはもっとひどい立場にいる人からで、おまえは大学に行って、パソコンを持って、ライターやってて、貧困ぶるな、そんなの貧困じゃない、っていうやつですね。貧困の連鎖を断ち切る唯一の方法が大学進学だと私は思うんですけど、それすら認められない人たちがいる……。
あと、そんな貧困状態で子どもを産むな、というのも結構ありました。それを子どもの立場である私に言われても」
自分のやり場のない怒りや不満をぶつける相手を間違えている気がする。
「貧困」は、人間のどす黒い感情に触れてしまうのかも
物価の高騰を受けて、非課税世帯に5万円給付すると政府が発表したときも、低所得者層を非難する声が出た。
「貧困というワードは、なにか人間のどす黒い感情がたまっている部分に触れてしまうのかもしれません」とヒオカさん。
本では、これまでを振り返る各章の冒頭に、コロナ禍でも出勤して働かざるをえない日常を描いた、「コロナ日記」が挿入されている。
「コロナでリモートワークが進んだと言われますが、そもそもリモートできない職種はいくらでもあって、ステイホームできる人はほんの一部。『ステイホーム貴族』なんですよ。でもその人たちにとってはそれが当たり前で、飲食業の人に向かって『自己責任だ』なんて言う」