新曲を出しても『会いたい』を超えられない、世の中は『会いたい』を求め続ける、そんな状況に葛藤していました。レコード会社を移籍して、『火曜サスペンス劇場』(日本テレビ系)のエンディングテーマも歌わせていただき、“よし! 今だ”と満を持して新曲を出して勝負するとヒットしなかったり。結果が出ないと、今度はレコード会社に見放されていくわけです。新しい曲をヒットさせるために一生懸命に頑張って前に進んでいたのに、気が付くとリストラされていたという時代もありました」
そうした長年の苦悩から抜け出せたきっかけは、2004年に発生した新潟県中越地震の復興チャリティーコンサートだった。
『会いたい』は亡くなった人に再び会いたいという歌のため、被災者の方々に余計につらい思いをさせてしまうのではないかと心配し、当初は歌うことを逡巡したという。
「でも、実際に歌うと、癒しの効果があったようです。悲しみを受け止め、涙で洗い流すことで前に進む力を生む歌と、私自身がこのステージで歌って気が付くことができました。
不思議なことに『会いたい』のイントロが流れた瞬間、雹(ひょう)が降ってきて、エンディングの演奏が終わった途端に雹がやんだのです。その時に自分の中でスイッチが切り替わり、“今まで『会いたい』を超えたくて何と戦ってきたのだろう。私の役目は癒し。ヒットにこだわるな”と目が覚めました。『会いたい』が“ヒット曲”から、ずっと歌い続けていく“祈りの歌”に変わった瞬間でした。私自身の歌手としての心の復興もこのステージから始まりました」
まさに「21世紀に残したい泣ける名曲」として歌い続けられていく『会いたい』。そうした中、澤田自身にも転機が訪れた。2021年11月末に東京・世田谷区から小田原市に拠点を移したのだ。移住を決断したのは、コロナ禍がきっかけだったという。
「コロナが蔓延し、2020年と2021年の2年間はコンサートが軒並みなくなりました。それまで毎月、全国各地をいくつも仕事で旅する生活スタイルでしたが、中止が相次ぐことが続いた頃、夫(音楽プロデューサーの小野澤篤さん)と『このままここにいる意味はなんだろう?』と話していたんです。もともと住んでいた場所は羽田空港や東京駅が近く、全国各地へ行きやすいメリットはありましたが、コロナ禍で地方の仕事に行くことができない。東京である意味がなくなった時、『ちょっと散歩したら素敵な海があるとか、そういうのもアリだよね』という話になりました」