物語は昭和29年1月19日、八王子・荒井呉服店の次女に生まれた由実が、山形・左沢出身の女中〈秀ちゃん〉の里帰りに無理やり付いていく、3歳の夏から始まる。芸事好きな母親の方針で6歳からピアノを、さらに粋人な祖父の影響で清元も習い、横浜港と絹の道で結ばれた〈桑都〉で、由実は幅広い文化に触れて育つ。
「大正元年創業の大店の娘という環境に嫉妬するファンもいるらしいですけど、私はむしろこれほど文化資本が彼女に集中した背景に、個人の嫉妬とかいう次元にない、一国の繁栄や成熟の歴史を感じるんです。
明治の開国以来、日本の近代化と外貨獲得を担ったのが生糸で、呉服店は戦後、基地の奥様用に流行の洋服も仕立てた。ユーミンが生まれた1954年から初アルバム『ひこうき雲』が出た1973年までは高度成長期とも重なります。その終焉と文化的成熟と共にキャリアが始まる、象徴的な人生に思えてならないんです」
才能を曲げずに世に出られた奇蹟
お気に入りの〈葡萄色のランドセル〉で学校に通い、誰かの真似は〈大っ嫌い〉。また流行の音楽にも敏感で、ジャズ、ロカビリー、マンボ等々、由実はそれらの音に〈色が見えた〉。
〈比喩ではなく、本当に見えるのだ〉。
「ゴッホが画家になろうとしてピアノを始めたとか、共感覚の逸話は多々あって、ユーミンも音楽的な才能を自覚しつつ、音大ではなく多摩美の日本画科に進む。絵画的な感性を磨くことが音楽に直結すると、直感されていたんだと思います」
友達と基地内のレコード店に通っては新譜を買い、その価値を唯一わかってくれたかまやつひろし氏や、キャンティの川添夫妻など、中学の時からキャンティに出入りした由実の周りには、感性豊かな大人が大勢いた。
「中でもタンタンこと川添梶子さんは早くから彼女の才能を認め、それが今でも支えになっていると、本人もおっしゃっていました。ユーミンは自ら八王子のご実家も案内してくれて、朝帰りに使った螺旋階段も本当にあった。確かにこの外階段を使えば六本木から始発で帰っても秀ちゃんが起こしに来る前にベッドに入れると、納得でした(笑)」