あんな人たち、ほんとうにいるの? と聞かれることもあるそうだ。
「いるんですよ。ふつうはへんな人がそばに来たら、目をそらしたり、見ないようにしたりするじゃないですか。それではだめで、こちらのほうからも、『あなたのファンです』ぐらいの気持ちで場をつくる感じを出して待つと、面白いパフォーマンスをしてくれる確率が高い気がします(笑い)」
発送のために出向く近所の郵便局で見かける面白い人の観察録も日録の中にたびたび出てきて爆発的に面白いので、観察眼がすぐれているのはもちろんだが、向井さん自身に、面白い人を引き寄せる何か特殊な能力が備わっているのではないかとも思う。
高校時代は柔道一筋で過ごし、卒業して何をしていいかわからず、ひとまず父親の店の店番を手伝うことにしたのが古本屋になるきっかけだったそうだ。
「自分としては店番をやりながら何をやりたいか探すつもりだったんですけど、父親のほうは店を継ぐ前提だと思ったみたいで、業者の市場に修業に出されちゃったんです。それで、やるしかなくなっちゃったんですよ」
当時19歳の向井さんは、古書業界でズバ抜けて若かった。現場のトップである主任になるのに、ふつうは5年ぐらいのところを、12~13年かかった。
「市場の仕事では、すごく勉強させてもらいました。他の本屋さんとも知り合いますし、この業界のことを知るのに役立ったので、結果的によかったと思います」
文書は「自己表現ではなく、あくまで宣伝の一環です」
柔道一筋だった頃は、本もほとんど読んでいなかったという。文章を書くのも見よう見まねで、最初は店の目録に載せるために、短い文章を書き始めた。インターネットがない時代、古本の売買は目録が中心だった。
「ブックオフのCMでも『本を売るならブックオフ』って宣伝してるように、古本屋にとっては直接、お客さんから本を売ってもらうのがすごく大事なんです。あいつのところに売りたいと思ってもらえるように、お客さんが楽しみにしてくれるような文章を書こうと思って。自己表現ではなく、あくまで宣伝の一環です(笑い)。
古本屋から作家になった出久根達郎さんの本をお手本にして、本好きの人はああいう感じが好きなんだろうとまじめに書いてたんですけど、自分の場合は、店であったちょっと面白いことを書くほうがお客さんの反応もよかったので、だんだんいまのような書き方になっていきました」
目録の文章に目をとめた編集者に誘われ、月刊誌(「WiLL」)にエッセイを連載することになる。途中で日録のスタイルになり、10年以上たったいまも連載(「Hanada」)は続いている。
この11年のあいだには、東日本大震災があり、コロナ禍があり、緊急事態宣言が出た一昨年、昨年は、不測の休業も経験した。
向井さんが仕事を始めた30年前と比べても、本は売れなくなってきている。本が売れない、支払いが足りるだろうか、といった心配も隠さず、率直に書かれている。
「弱気なことを書くと、雑誌の読者から、手紙や図書カードが送られてきたりするんです。本の買い取りを依頼してもらうこともすごく多いですね。
古書業界に入ったとき、先輩から、『儲かった話は絶対にするな』って言われたんです。『失敗した話は大げさに話せ』、とも。そうすると、お客さんとも同業者とも、いい距離感が保てると教えられました。面白貧乏って、読んでていちばん面白いじゃないですか。……まあ実際に儲かっていないので、嘘ではないですし(笑い)」