編み物以外にも細かな手仕事が好きで、ずっと何かをつくっていた。
「お姉ちゃん何か出してみない?」。なかしまさんに誘われ、そのころ彼女が働いていたオーガニックレストランに、刺繍したナプキンやオーブンミトンを並べて販売するようになった。
「ひとつだけ、編み込みの指なし手袋を出したことがあって。『ほしい』と言ってくださる方がびっくりするぐらい多かったと妹から聞きました。私にとってはそのミトンをデザインして編むのは確かに大変だったんですけど、自分でも大変なことをやれば、こんなに喜んでもらえるんだと思うできごとでした」
三國さんは29歳で、結婚して子どもを育てていたが、進む道が見つけられていないと思っていた。
作品を楽しみにしてくれるお客さんが増え、展示の初日に人が並ぶようになり、お菓子と編み物の「長津姉妹店」(長津は姉妹の旧姓)をギャラリーを借りて開くようになった。
「自分をほんとうに懸けるようなことができるとしたら、そろそろ潮時じゃない?というタイミングだったので、小さかった息子が寝た隙に、せっせと作品を編み貯めました。幸せな時間でしたね」
姉妹店の展示を見た編集者から、編み物の本を出そうと誘われる。「ほぼ日刊イトイ新聞(ほぼ日)」の取材も受けた。
2011年3月、東日本大震災が起きたあと、「ほぼ日」で、三國さんの「編む一日」を中継した。その中継が、「ほぼ日」が立ち上げた東北の復興事業「気仙沼ニッティング」につながり、三國さんはデザイナーを引き受ける。糸井重里さんとアイルランドのアラン諸島(手編みのセーターが有名)にも行った。「ほぼ日」のサイトで販売する、初心者でも楽しめる編み物キット「Miknits」も手がける。
「次々に人と出会って、思いがけず人生が転がっていく感じで、編み物が私の仕事になりました」
書くことは自分へのご褒美でした
今回の本も、「ほぼ日」の仕事で知り合い、友だちになっていたスタッフから、「何か書いてみませんか?」と声をかけられたそう。発表がどういうかたちになるか決めないまま、書き送ったそうだ。
「ひとつニット作品を納品したら、次の日は文章を書いていい日にしよう、と決めて、書くことは自分へのご褒美でした。楽しかったですね。
前に別の出版社さんから、書いてみませんかと言われたことがあったんです。文芸の老舗出版社で、私、緊張しちゃったんですね。書けなかった。書いてはみたんだけど、どこそこに行きました、何をしました、何がおいしかったです、って小学生の作文みたいになってしまった。『私は文章が書けないんだ』って、自分でもショックでした。
だから今回はそのリベンジの気持ちも(笑い)。読んでくれる相手が友だちというのは、コミュニケーションが苦手な私にとっては大切だったかもしれません」