ピラニアクラブに入っていけた理由
──2021年シーズンでホンダはF1から撤退しましたが、今年8月には、レッドブルへのPUの技術支援を2025年シーズンまで延長することを発表しました。先日の「2023モータースポーツ活動計画発表」では、来年もレッドブルとアルファタウリに「HONDA」ロゴの掲載を続けることを発表。今後もホンダがF1に関わることはファンとしては嬉しいと同時に、率直に言って、状況がわかりにくい気もします……。すでにホンダを退職され、現在はご自身の会社(MASAコンサルティング・コミュニケーションズ)を立ち上げて仕事をされている山本さんは、今の状況はどう見ていらっしゃいますか。
僕ももうホンダじゃないからわからないんだけど、ホンダの撤退後、F1を取り巻く状況が大きく変わったことは確かです。当時の八郷社長は、グローバル企業の将来を見据えて社長として撤退の決断をされた。その後、F1のレギュレーションが大きく変わりました。たとえば2025年までPU開発が凍結されたり、コストキャップ(予算制限)が導入されたりするなかで、世界的に人気が高まっているF1のブランディング効果を、ホンダさんが改めて認識されたのかな、というのはあくまで僕の想像です。
──最後に、「ピラニアクラブ」と呼ばれる魑魅魍魎たるF1の政治のなかに、山本さんが入っていくことができたのは、なぜだと思いますか?
レッドブル・ホンダでチャンピオンを取るという大使命があったから、そのためにできることは全てやろうと決めていました。その一つが、コミュニケーションを大事にすることで、サーキットでの何気ない会話からシビアな交渉までを一つひとつ真摯に重ねていった結果だと思っています。
でも決して僕一人の力でやったことではなく、たくさんの方に助けていただきました。なかでも2019年に亡くなられた海野勝さん(元ホンダF1ビジネスアドバイザー)の力は大きかったですね。海野さんは、トストさんやマルコさん、そして、F1のかつてのドンのバーニー(エクレストン)さんとも親しくて、僕をそういった人たちに紹介してくれたんです。次は僕が、次世代にそういった役割を果たしていけたらと思っています。