「当初は、三羽烏と呼ばれるのに、抵抗というか、違和感があったんです」
インターハイで1500mと5000mの頂点に立った武井と、3000m障害王者の櫛部に対し、花田は無冠のまま早大に入学した。ただ、と武井は続ける。
「花田君は1年のときに、4年になったら2区を走ると宣言した。マジメなうえ理論派で、意味を考えながら練習に取り組む。努力を重ねて3年時に大活躍し、4年で2区を任された。そこで本当の意味で、はじめて三羽烏になれたのかな」
(一部敬称略)
取材・文/山川徹
※週刊ポスト2023年1月1・6日号