西園寺はこの三年前の一九〇六年(明治39)一月七日、伊藤のバックアップと、後に述べるが山県有朋・桂太郎の暗黙の支持のもとに第十二代内閣総理大臣に任命されている。伊藤の死後も第十四代総理大臣に任命され、第二次西園寺内閣(1911〈明治44〉?1912年〈大正元〉)を率いており、「ライバル」の桂太郎が第十三代総理大臣だったときも政界の実力者であったことは紛れも無いから、「新・第二教育勅語」を出すチャンスはあった。では、結果的になぜ「第二教育勅語」は新案を策定できなかったのか?

 もうおわかりだろう。明治天皇が崩御したからである。「綸言汗の如し」。「明治大帝」の御言葉は、御本人しか「訂正」できない。もちろん西園寺は、それを「訂正」では無く「追加」という形で凌ごうと考えていたのだが、いずれにせよ天皇がこの世を去った時点でこの計画は完全に水泡に帰したのである。

 伊藤博文も明治天皇も、この世を去るのが少し早すぎた。天皇ももう少し長生きするだろうと誰もが考えていた。だからこそ、乃木大将は拙速で皇孫殿下(後の昭和天皇)に「中朝事実」の講義をしなければならなかった。そして最大の皮肉は、明治天皇崩御の時点での内閣が桂太郎では無く、西園寺内閣であったことだろう。もう少し伊藤と天皇が長生きして西園寺をバックアップしていれば、その後の歴史はかなり違ったものになった可能性がある。

 歴史if(イフ)など考えても意味が無い、というのがいまの日本の歴史学界の通説のようだが、そんなことは無い。むしろ、歴史をより深く理解するには絶対に必要な作業である。その理由については、何度も説明したので繰り返す必要は無いだろう。そこでまず思い出していただきたいのが、拙著『逆説の日本史 第二十六巻 明治激闘編』のサブタイトルにもなっている「日比谷焼打」事件だ。

 歴史学界はおおむねこの事件を「大正デモクラシーの出発点」などと好意的に評しているが、これこそ「向こう四十年の魔の季節への出発点」だ、と断じたのが国民作家司馬遼太郎だ。「向こう四十年」とは、言うまでも無く一九〇五年(明治38)の日露戦争勝利から一九四五年(昭和20)の大東亜戦争敗北までを指す。大日本帝国崩壊への道筋と言ってもいい。私もその意見には全面的に賛成で、同書のなかで日比谷焼打事件は「大日本帝国破滅への分岐点」だと書いた。

 じつは、この時点で桂首相は内閣が維持できないと、窮余の一策として当時伊藤とともに政友会を立ち上げ党首となっていた西園寺に政権を譲る気でいた。文相として伊藤内閣に初入閣した西園寺はその後、内閣総理大臣臨時代理も務めており、伊藤の後継者とみなされていた。桂のバックにいる「陸軍の法王」山県有朋は政党政治に反対だったが、「十六方美人」で「ニコポン」の桂はそれほどでも無く、どうせ内閣が倒されるのなら伊藤・西園寺ラインが推進する政党政治に「貸し」を作っておこうと考えたのだろう。西園寺に対して「政党内閣と名乗るな」という条件もつけたようだ。これが桂と西園寺が交互に政権を担当した「桂園時代」の始まりで、すでに述べたようにその後西園寺は第十二代内閣総理大臣になる。

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