帝国主義国家は「やりたい放題」
さて、本題に戻ろう。
「桂園時代」の始まりである一九〇六年(明治39)、第一次内閣をスタートさせた西園寺公望が「招集」した「満洲問題に関する協議会」の席上、満洲を完全な日本の植民地としイギリス式の積極的な経営を行なうべしと主張した陸軍の児玉源太郎に対し、「満洲は中国の領土ではないか!」と一喝し児玉一派の領土的野心をたしなめたのは、元老伊藤博文であった。前回一部紹介したが、きわめて重要な発言であるので詳しく述べよう。
伊藤はこう言った。
〈余の見る所に依ると、兒玉參謀總長等は、滿洲に於ける日本の位地を、根本的に誤解して居らるゝやうである。滿洲方面に於ける日本の權利は、講和條約に依つて露國から讓り受けたもの、即ち遼東半島租借地と鐵道の外には何物も無いのである。滿洲經營と云ふ言葉は、戰爭中から我國人の口にして居た所で、今日では官吏は勿論、商人なども切りに滿洲經營を説くけれども、滿洲は決して我國の屬地では無い。純然たる清國領土の一部である。屬地でも無い場所に、我が主權の行はるゝ道理は無いし、隨つて柘殖務省のやうなものを新設して、事務を取扱はしむる必要も無い。滿洲行政の責任は宜しく之を清國政府に負擔せしめねばならぬ。〉
(『伊藤博文秘録』春秋社刊)
これは、当時の日本人の良識を示したものとして高く評価すべきだ。残念ながらこれより先、日本は伊藤の示した方向とは逆の「満洲国建国」に向かって驀進していくことになる。そして、それを死守しようとしたことが結局「大日本帝国の命取り」になる。
ところで、現在の中華人民共和国は思想の自由も学問の自由も無い国だから、かの国の学者と歴史に関して論争するつもりは無い。そんなことをしても時間の無駄だからだ。中国にも民主主義が定着すれば、ちょうどソビエト連邦がロシア共和国になり一時民主化が進んだとき、それまで「ナチス・ドイツがやった」と言い張っていた「カチンの森の大虐殺」を、初めてソビエト連邦の仕業と認めたようになるかもしれない。しかし、それは当分望めない。だからと言って、中華人民共和国の歴史的主張がすべて異常で事実と異なる虚偽だと言うつもりも無い。
たとえば、いまの中国は日本が建国した「満洲国」のことを「偽満洲国」と呼んでいるが、これは呼称はともかく的確な見方である。ただそれを言うなら現在の中国が勝手に作った「チベット自治区」も「偽自治区」と呼ぶべきであって、そういうことが認められるようになれば実のある議論もできるだろう。再度言うが、いまのところはまったく不可能である。現在の中国において「歴史」とは真実のことでは無く、中国共産党に都合のいいように改ざんされた「情報」のことである。だからこそ、日中戦争に勝って日本を大陸から追い出したのは共産党(実際は国民党)になっているし、逆に天安門事件は「無かったこと」になっている。それが中国の現状である。