だが批判する声がやまないのも事実だ。犯罪者と接点のあった人がお笑いをやっても笑えない、顔を出すような仕事はすべきではないという意見もある。許せるか許せないかは、どう受け止めるかはそもそもその人次第だ。
嫌悪感を持つ人や不快感を強くした人に、本人や周りが何をどう説明しても、それは言い訳や釈明にしか聞こえない。本人はそれをよくわかっている。『ABEMA Prime』で「実際に僕がいた環境のことなんで、言い訳もできないですから。不快な思いをさせているということで申し訳なく思ってます」と頭を下げていた。
兼近の過去の言動をあら捜しする動きも出ている。ヤンキー大喜利の返しだったという過激なツイートが引っ張り出されて炎上し、「本当に申し訳ない」と謝罪。イジメ問題まで出てきた。まるで過去の問題発言を徹底的に糾弾し、それを理由にボイコットしようとする「キャンセルカルチャー」のようだ。だが個人によって受け止め方が違う今回のようなケースでは、過剰なまでに追及を続け、何らかの制裁を求める者たちの側にも問題はある。
この事件がメディアに取り上げられ続ける限り、兼近がいくら謝罪しても説明しても、彼に不快感を持つ人はいる。過去や言動をリサーチする人もいる。その中には、過ちを犯しても更生する機会は与えるべきと答える人もいるだろうし、更生するにも自分の見えない所、かかわりのない場所でと思う人もいるだろう。りんたろー。は、『ABEMA Prime』で、「過去から目を背けたりせず、今の現状を決してあきらめず、いろんな声を受け取って、活動や発言をみせていかないといけない」と語った。「それが2人で決めたこと」という彼らのこれからを見守りたい。