《そして歴史は進む》
振り返ると、初めて海外に渡ったのは、1995年二十歳の夏。野茂英雄のMLBデビューイヤーを見に行く旅だった。ドジャースタジアムの最安席から見たその勇姿が、筆者の人生を変えた。
「メジャーの野茂選手を取材したい」との動機から、スポーツ新聞社に就職。2002年にはファン投票1位のイチローのオールスター戦や、野茂、石井一久らのカメラマンとしてMLB取材の夢を叶えた。
2010年には、新婚旅行で同い年のエンゼルス松井秀喜の応援にも行った。
そして2023年。まだ、MLB勢と真剣勝負のできる侍ジャパンの概念すらなかった、初渡米時から28年間、コツコツと溜めてきたマイルで、大谷の偉業、日本代表の世界一奪還を目撃しに飛んだ。
「パパも、お家にばっかりいないで、たまには大谷選手の推し活ぐらいしてきなよ」
私も、野球と娘たちに魅了されて、愛された半生だと感謝している。
娘はいい子に育っているし、もう死んでも悔いなしと満たさかけれたが、早くも大谷は3年後の大会出場にも意欲を示した。これはまた必死に働き続けて、中学受験費用と遠征費を貯めなければ。ただ、個人的課題も1つ残してきた。
優勝を見届けて球場を後にする際、共に観戦した米国人の友から「スタジアムの掃除をして帰らないの?」と指摘された。日本人ファンのサッカーW杯での客席清掃は、世界的にも有名だ。一部報道によると、今回も日本人ファンの清掃を称える米国人記者のツイートがあったという。左翼席の侍ジャパン応援団は、きちんと実施していたのかもしれない。
私はというと…。足元に派手に散乱させたピーナッツの殻は、とても手で拾い集められる状態ではなく、球場係員の誘導に促されるままに退場するしかなかった。
すっかり現地ファン気取りで、殻を足元に捨ててしまった。エンゼルスでの大谷は、同僚選手がどれだけベンチを汚しても、たった一人で食べたヒマワリの種を必ず紙コップに捨てている。我に返って、深く恥じた瞬間だった。
「日本人は勤勉で規律正しいと、世界中が思っているのよ」
友人の言葉が胸に刺さった。
大谷は今、野球選手の可能性を、不可能とされていた領域にまで切り開いている。最年長ダルビッシュは、旧態依然の先輩後輩の上下関係を軽やかに取り払い、今後のスポーツ界の在り方を示してくれた。そして、彼らを率いた栗山監督も、選手(部下)を信じ切り、彼らに真正面から向き合うリーダー像で成功してみせた。ここまで日本国民を感動させたのだから、もはや、スポーツを超えた人間社会の進化・革新といってもいい。
私がマイアミで得られたものも、感動だけではなかった。まずは、お金よりも、己の振る舞いから。3年後の応援に堂々と行くためにも、やるべきことは、人として、親としてのさらなる成長だ。人は幾つになっても変われる。アラフィフのワンオペ親父にそう教えてくれた、かけがえのない追っかけ旅だった。
【了。前編から読む】