しかし、2016年には父の体調が悪化。胃にカテーテルを通して直接栄養を補給する胃ろうに踏み切った。
「高島さんは、お母さんには満足な治療をしてあげられなかった悔しい過去があったので、とにかくお父さんには100%のことをしてあげたかった。でも、本人の意思確認はできなかった末の胃ろうについては、長い間、自問自答されていました」(前出・芸能関係者)
実際に2018年3月の産経新聞のインタビューでも、本人はこう明かしていた。
《2年前に胃ろうを始めたのですが、やって良かったのか、悩ましいところです。ここまで治療に頑張ってしまうと、もう何が良いのか分からなくなってしまいます。正直言って、ひょっとすると自分たちの自己満足のために延命しているのではないか、という思いもあります》
そこでは、そんな延命治療や将来的な葬式などの「おみおくり」についてまで、痛切な心のうちを語っていた。亡くなった時期は明かされていないが、父が長く暮らしていた横浜市内の実家は、コロナ禍の2020年11月には売約済みで、現在は他人名義の一軒家が建てられている。
冒頭のインタビュー記事では、こうも語っていた。
《これから介護に入る方には、絶対に無理をしないでと伝えたいです。私が介護で学んだのは頑張り過ぎないこと。自分だけで背負い込まないで、甘える勇気を持つことです》
苦難苦闘の末に、悔いがないと言い切れるまでやり尽くせた高島だからこそのメッセージだ。