けど、結局は行かなかったの。質素な木造アパートに住んで、身なりも粗末なその学生運動家のカップルに聞いたら、彼女は月に10万円、彼だって8万円の生活費を親から送ってもらっていたんだもの。住み込みで月に4日しか休みのない私の月給は額面で7万5000円。いろいろ引かれたら、手取り2万円にもならない。それで「あなたみたいな労働者と共闘したい」と“世界革命”を語られてもなぁ。
昭和ヒトケタ生まれの中年リベラル派と知り合ったのは、ライターになったばかりの20代の頃だ。自民党政権や自分の親・親戚を悪しざまに言うのは若い世代とそう変わらないけれど、ひとしきり毒を出すとなぜかお次に出てくるのは家柄自慢なの。酔うにつれて「世が世であれば」と何度聞いたかしら。
そうなんだよねぇ。私の前に現れたリベラル派は全員、大卒か大学中退だったの。おかげで「ふん。親のすねかじりが!」というヒガミ根性がすくすくと育つばかりで、自分ではどうすることもできない。
で、66才になってわかったのは、結局人は生まれ育った環境で世の中の見え方がまるで違うということよ。植物がどこに種が落ちたかで枝の伸び方や花つきが変わるように、人間もそう。
私の母は尋常小学校卒。早世した父はお見合いした同い年の母と最初のデートで映画『ローマの休日』を見たと言うけれど、せいぜい高等小学校卒だ。父方の祖母は文盲で生涯一度も旅行というものをしたことがない。
私だって小遣いは7才から自分で稼いで、「中卒で働け」と両親から言われて育った身。だから、リベラル派の人が言うほど、いまの世の中が悪いものだとはどうしても思えないんだわ。
とはいえ、人の苦労は十人十色でね。勉強が嫌いなのに、親に金とヒマがあったがために塾漬けになった子の地獄もあれば、仲の悪い両親の間を右往左往するのが身についてしまった人もいる。みんなそれぞれに違って、みんな大変よ。どっちがどうというものじゃない。わかっちゃいるけど、長年を経て身についた世の中を見る窓は、変えられないんだよね。
【プロフィール】
「オバ記者」こと野原広子/1957年、茨城県生まれ。空中ブランコ、富士登山など、体験取材を得意とする。
※女性セブン2023年4月27日号