〈幸子さんも、お客さまに作った献立はすべて記録しており、そのノートは10冊近くに及ぶ。それらはいま、りり子さんが受け継いでいる〉
りり子:何を何g入れて……といったレシピではないんです。料理は母から教わったというより、見よう見まね。この前、母の本を読み直して“スダチご飯”を久しぶりに作ったらおいしくって、“再発見”でしたね。
〈“スダチご飯”とは、熱々のご飯にスダチを2~3個搾り、しょうゆをかけたもの〉
りり子:一時、お母さんがこれに凝ってよく作っていたよね。
幸子:そう? 覚えていない。
りり子:もう、全部忘れちゃうんだから。
幸子:88才だから仕方ない(笑い)。
〈おふたりが並ぶ台所、そして食卓には、笑いと感謝があふれている。そんな彼女たちにとって、食べることとはどういうことなのか〉
りり子:食べることって、体のために栄養を摂取するだけではなくて、暮らしに彩りを与える役割がありますよね。感覚への養分と言いますか。
哲学者・國分功一郎さんの著書『暇と退屈の倫理学』から引用すれば、人はパンだけでは生きられない、バラを飾ることも生きていくために必要なんだと思います。
ですから私は、食べ物を入れる器も大切にしています。高いものを使えばいいというわけではなくて、気に入った器を使うことも、れっきとした感覚への栄養分なんじゃないかな。
幸子:私はね、食べたり作ったりすることを、事務的なこととしてやるのはもったいないと思います。失敗や発見の喜びがあるチャンスですから、存分に楽しめばいいと思います。
〈作らなくても食事に困らない飽食の時代。料理をよりおいしく楽しくするのは、愛情と好奇心なのかもしれない〉
(了。前編から読む)
【プロフィール】
甘糟幸子さん/作家。1934年、静岡生まれ。夫は雑誌編集者の故・甘糟章さん。1960(昭和35)年、作家の故・向田邦子さんらとフリーライター事務所「ガリーナクラブ」を開く。主な著書に『野草の料理』『楽園後刻』(ともに神無書房)、『野生の食卓』(山と溪谷社)など。
甘糟りり子さん/作家。1964年、横浜生まれ。レストラン、ファッションなど、都会のきらめきをモチーフにした小説やコラムに定評がある。主な著書に『エストロゲン』(小学館文庫)、『産まなくても、産めなくても』(講談社文庫)、『鎌倉の家』(河出書房新社)、『バブル、盆に返らず』(光文社)など多数。
撮影/政川慎治
※女性セブン2023年4月27日号