最近の研究書にも次のようにある。
〈「帝人事件は」「のちに被告人全員の無罪で結審するが、判決文は検察側の主張を『空中楼閣』『あたかも水中に月影を掬せんとするの類』とまで評した謎多き事件である」〉
(『昭和史研究の最前線 大衆・軍部・マスコミ、戦争への道』筒井清忠編 朝日新聞出版刊 「帝人事件」の項より。項目執筆者菅谷幸浩)
しかし、この執筆者菅谷幸浩は前出百科事典の傍点部のような見解には批判的だ。とくに「平沼関与説」については否定している。近代史いや日本史にとってきわめて重要な部分なので、その根拠となる部分を引用する。
〈帝人事件を枢密院副議長・平沼騏一郎(司法官僚出身)の策謀とする説も根強い。平沼は国家主義団体「国本社」の会長を務め、元老の西園寺と対立する一方、軍や右翼の中に平沼を慕う勢力がいたのは事実である。このため、平沼陰謀説は当事者の間でも囁かれていた。(中略)これに対し、近年では萩原淳氏による評伝的研究により、司法部における平沼閥や、1930年代の平沼内閣運動の全容が明らかになっている。そこでは平沼が帝人事件の捜査情報を知りえる立場にいたが、事件そのものに関与したと断定する根拠はないことが指摘されている(萩原淳『平沼騏一郎と近代日本』『平沼騏一郎』)。筆者も史料状況からして、この見解が妥当であると考えている。〉
(引用前掲書)
つまり、「事件そのものに関与したと断定する根拠はない」から、この「史料状況」から見て、帝人事件は平沼の仕掛けた謀略ではあり得ない、ということだ。
私は話はまったく逆で、これは平沼の陰謀だと思う。平沼は「帝人事件の捜査情報を知りえる立場にいた」し、あきらかに自分が首相になる道を閉ざした西園寺を恨んでいただろう。なによりも、右翼としての正義において斎藤内閣は潰すべきだと考えていたはずだ。決断したら実行するのが右翼である。もちろん証拠を残すような愚かなマネはしない。長々と述べてきたように、平沼は日本最大の冤罪事件「大逆事件」の仕掛人であり、検察のトップである検事総長でもあった。そんな人間が自分の関与を示す証拠を残すはずが無いということが、どうしてわからないのだろう。
さんざん指摘したことだが、歴史学者の先生方には自分たちだけが史料を解析できるという、私に言わせれば傲慢な思い込みからどうしても抜け切れないようだ。たとえば、孝明天皇が死に至るまでの記録や古文書は素人には読めない。それができるのは古文書に精通した歴史学者だけだ。しかし、そこから抽出された事実をもとに真相を判断するのは医者しかできないはずなのに、前にも述べたように何十年ものあいだ医療について素人の歴史学者は自分たちだけで「研究」していた。そういう研究姿勢のことを傲慢という。
この問題について言えば、平沼騏一郎は「日本一の冤罪デッチ上げおよび証拠隠滅の名人」である。伊藤博文などとはまったく違う。そういう自覚も無しに単純に「史料が無いからそれに対応する事実も無い」などと考えていては、歴史の真相は決してつかめないだろう。
(文中敬称略。1378回に続く)
【プロフィール】
井沢元彦(いざわ・もとひこ)/作家。1954年愛知県生まれ。早稲田大学法学部卒。TBS報道局記者時代の1980年に、『猿丸幻視行』で第26回江戸川乱歩賞を受賞、歴史推理小説に独自の世界を拓く。本連載をまとめた『逆説の日本史』シリーズのほか、『天皇になろうとした将軍』『「言霊の国」解体新書』など著書多数。現在は執筆活動以外にも活躍の場を広げ、YouTubeチャンネル「井沢元彦の逆説チャンネル」にて動画コンテンツも無料配信中。
※週刊ポスト2023年4月28日号