現地で落ち合った二人は、サンタモニカまでドライブを楽しんだ。ハイウェイを200キロで飛ばしたときは、さすがに生きた心地がしなかったし、日本にはない超高層ビルに上ったときは足がすくんだ。すべてが夢のようで、次第に力道山に惹かれているのは自分でもわかった。
それでも、踏ん切りがつかなかった。帰国後、『週刊明星』記者の美濃部脩と久しぶりに会った敬子はこう答えている。
「私にも、結婚や将来の生活について、いろいろ夢があったんですけど、正直にいって、今度のお話は、かなりその夢とちがうんです。百田さんがいやだというんじゃありません。私が想像していた以上にいい人ですし、あの駄々っ子的なところや気持ちのやさしさには、とても魅力を感じています。でも、何かまだ踏み切れないんです」(『週刊明星』1963年1月27日号)
これ以降、二人のデートは主にロサンゼルスになった。海外という非日常的空間の方が、東京から横浜までの車中デートより効果的だと力道山は悟ったのかもしれない。
「ホテルのロビーに7時半」が待ち合わせの約束時間だった。
しかし、7時半になっても力道山は現れなかった。30分が経過し、1時間が経過した。それでも力道山は姿を見せない。やって来る気配すらない。ホテルのフロントに「何かメッセージはないか」と尋ねたが、なかった。
「私、この人と結婚しよう」
そろそろ9時になろうとしていた。門限がないわけでもない。宿舎に戻ろうと、ホテルの回転扉を押した瞬間──大きな身体の男が、走って来るのが見えた。力道山である。
回転扉だから顔は見えても、会おうにも会えない。もどかしかった。ようやく一周して、どちらからともなく、二人は寄り添い合った。
力道山は額に大汗をかいている。
「大変、申し訳ありません」
「どうされました」
「すみません、すみません……。いやあ、プロモーターとの打ち合わせが長引いてしまって、本当に申し訳ない」
巨体を折り畳むように、平謝りに謝る力道山の姿を見て「この人は真剣だ」と敬子は思った。そして、こう誓った。
「私、この人と結婚しよう」
この夜の出来事がきっかけとなって、田中敬子は結婚に踏み切った。「あれは大きな出来事だったわね」と81歳の彼女は回想する。
ただし、一番の問題はそれでゴールインとならなかったことである。
むしろ、ここから波乱万丈な半生のスタートラインに立つことになろうとは、敬子自身、この時点で夢にも思わなかった。
この続きはまたどこかで……。
(完。連載終了)