時代や状況が醜い振る舞いをさせる
「周りはいい迷惑ですよね。当時は火事の時に大八車に家財を載せて逃げると通行の妨げになると幕府が禁止していたくらいで、彼女はそれを破ってでも、鳥を見捨てられなかった。常に小鳥を慈しむ商売をし、女性1人では生き辛いからこそ強くなろうとしているのを、皆が知っているからこそ、身勝手さを許し、手を貸す寛容さ。特に災害という極限状態の中では、誰かを助けたり助けられたり、それは現代でも同様でしょう」
現に幕府や人々の対応は早かった。町には〈お救い小屋〉が建ち、商家は炊き出しや物資の調達に奔走。中には身銭を切り、衣類を寄付する遊女もいたという。
「大火を書くのは正直辛い。でも書く以上は昔と今では何が違うのかを考えたい。江戸ではこうでした、今はどうですかという、これは問いかけでもあります」
〈与える側になるのも、受ける側になるのも、運次第。それが当たり前にできるのが、江戸の町人〉とあるが、かつて傷心の母と幼い弟を抱えて水茶屋で働いた頃の同僚〈おしな〉のように、相手を貶めても自分は救われようとする人々にすら、梶氏の筆はフェアで優しい。
「おけいと違って腕のいい大工の旦那や子に恵まれたおしなにも悩みはあって、人格よりは時代とか状況が、醜い振る舞いをさせているだけだと思うんですね。施しにしてもそのせいで働かない人が出てきたり、いい面と悪い面、両方ある。
例えば明治以前と以降では歴史が分断しているように学校等では教えますけど、人間はそこまで急に変われない。そんな時、自分達と地続きな話を客観的に読めるのも時代小説のよさだと思います」