兄の完全試合で、弟も変わった
立場上、盛岡一のナインの健闘を祈り、勝利を願っているものの、試合が始まれば大船渡の選手にも感情移入してしまう。そしてやはり、先発した怜希の状態を気にしていた。
「去年からマウンドを経験してきた。不器用ながらも、一生懸命に頑張ってきた。春季大会では怜希が好投して盛岡大付に勝ちましたよね。ピンチがありながらも、味方を信じて打たせて取るピッチングができる。それが彼の強みですね」
筆者が初めて怜希を見たのは、彼が大船渡第一中学に通っていた中学2年生の頃だ。4歳上で、大船渡高校3年生だった兄はすでに令和の怪物と呼ばれていたが、弟は兄も通った大船渡第一中学のグラウンドで、三塁の守備に就きノックを受けていた。小柄ながらも野球センスに溢れることは一目見てわかった。そして2年後、釜石市の平田公園野球場で再会を果たす。190cmの兄にはおよばないものの、身長は175cmぐらいまで大きく成長していた。
「兄と比べられるのは覚悟しています。だけど、自分は自分なので……」
投手をやるつもりはないのか──一瞬、そんな質問も頭をよぎったものの、幾度となく耳にしているであろうその問いを口にすることはできなかった。そしてその秋からショートのレギュラーとなり、主に1番もしくは2番打者を任されていた。
令和の怪物を兄に持つ怜希は、どうして高校2年生になって投手をやることになったのだろうか。國保氏は言う。
「詳しくは僕も分かりません。新沼悠太監督が『やってみないか』と誘い、怜希も『やってみたい』となったのかなと」
投手に挑戦することは、これまで以上に兄と比較されることを覚悟しなければならないはず。
「やっぱり、怜希本人も、ずっと兄貴と比べられることを気にしていただろうし、嫌だったと思いますよ。ただ、朗希が完全試合を達成した頃から、周りが朗希と怜希を比べることをしなくなったんですよ。誰しもが到達できない場所に朗希は今立っている。それをみなさんが理解したんだと思います。それからの怜希は、呪縛から解き放たれたように、のびのびと野球をやるようになりました」
常に自分のペースを崩さない兄の朗希同様、マウンド上での怜希も常に落ち着いていて、結果に一喜一憂しない。
「打たれてもフォアボールを出してもカッカカッカすることはないし、味方がエラーしても怒らない。優しい子なんですよ」