駒大苫小牧では真冬でも雪上でノックを実施し、香田誉士史監督(当時)は雪国のハンデをむしろ利用して、守備を鍛え上げていた。彼らの目の前に立ちはだかった日大三の堅い守備と遜色がなかった。そして試合は3点を先制し、常に駒大苫小牧がリードする展開に。強打の日大三も追いすがるが、同点打を許さず7対6で勝利する。
「優勝を意識したことは一度もなかったですね。とにかく次の試合が楽しみで、夢のような世界が続いている状態だった。勝ち上がれた要因は、香田監督がよく言っていた『素敵な勘違い』に尽きると思います」
そして、準々決勝はダルビッシュ有(当時、東北)と並び世代を代表する投手であった涌井秀章を擁する横浜(神奈川)だった。
「涌井君のボールも、決して驚くようなものではなかった。これは打てるぞ、と。のちに国体で対戦した時はまったく手も足も出ず、球威も変化球も制球も、“これがプロに進むような投手か”と思ったものですが、甲子園での彼は本調子にはほど遠かったのでしょう」
ピンチらしいピンチもないまま涌井に対して18安打を浴びせ、完勝した。ベンチ入りしたメンバーの全員が北海道の選手であった駒大苫小牧にとって、甲子園の灼熱の暑さもまた敵だったのではないだろうか。まして、彼らは本州で試合を戦ったことがなかったのだ。
「それが幸いにも、僕らは多くの試合が第1試合で、暑くなる頃には試合が終わっていた。日程の運も味方したと思います」
準決勝の東海大甲府(山梨)戦を10対8、決勝の済美(愛媛)戦では13対10で勝利。大会を通じてエラーはたったのひとつ。堅実な守備と「.488」という史上最高のチーム打率を記録するほどの強打で、駒大苫小牧は頂点にたどり着いた。
♦コーチとして伊藤大海を指導
優勝の瞬間、ナインはマウンドに集まり、人差し指を天に突き上げた。最近では当たり前に見かける歓喜のポーズだが、これを最初に行ったのは駒大苫小牧だ。彼らにとって、この「ナンバーワンポーズ」は日常の中にあるものだったという。
「僕の6歳上の代ぐらいから、部員が挨拶する時のポーズだったんです。グラウンドだけでなく、お祭りや近所のコンビニなどで監督さんや先輩と会うと、『こんにちは』と言いながら、お互いにナンバーワンポーズをする(笑)。甲子園でも、ピンチの場面で伝令がマウンドに行き、監督の言葉を伝えますよね? その最後に、心をひとつにするという意味も込めて、みんなでナンバーワンポーズをやっていた。優勝の瞬間、示し合わせたわけではないですけど、自然とあのポーズをマウンドでやっていたんです。この部の伝統は今でも続いています」