駒大苫小牧は翌2005年に夏連覇を果たし、3連覇を狙った2006年も決勝に進出。ハンカチ王子フィーバーが起きた斎藤佑樹を擁する早稲田実業(西東京)に延長15回引き分け再試合の末に敗れたとはいえ、高校野球に一時代を築いた。佐々木は高校卒業後、駒澤大学に進学し、3年生の頃に大学野球部の学生コーチに。2007年に駒大苫小牧が甲子園に出場した時には臨時コーチとして帯同した。そして、2008年春から正式にコーチとなり、2009年8月1日付けで監督に就任。佐々木は当時、22歳だった。
初優勝から19年が経過し、監督の職務も15年目に突入した。春は2014年と2018年の2度出場しているものの、夏は一度もたどり着いていない。
「北海道のレベルが上がって、古豪だけでなく新興の勢いのある学校もある。厳しい戦いを勝ち上がるために必要なことは何か、常に考えています」
コロナ禍となって以降、学校として感染対策を徹底すると共に教職員の働き方改革などもあり、野球部は大きな変革期を迎えた。毎日、19時には完全下校となり、6限目まで授業のある火曜日と木曜日は、実質、2時間ぐらいしか練習ができない。
「以前は野球の練習をとことんやれる環境にあった。走塁練習1つをとっても、部員が身につくまで時間を気にすることなく徹底して取り組めた。選抜に出場し、夏の南北海道大会では決勝に進出した2018年や2019年の頃は、私自身の指導にもようやく手応えを感じていた時期でした。ところがコロナ禍になって学校の方針が大きく変わり、思うような練習ができなくなった。そして、コロナがようやく落ち着いた現在も、練習可能な時間はコロナ禍と同じなんです。一昨年、昨年と、目に見えて野球の力が落ちていくのがわかりました。それがわかるのに、何もできない。つらかった。正直に話すと、監督は別の方が適任ではないか、と考えたこともありました」
だが、新しい環境に佐々木よりも教え子たちが順応した。
「今年の3年生は入学の段階から現環境だった。すると効率よく練習に取り組むし、与えられた時間の中で精一杯の努力をする。失った力を急速に取り戻していきました。今年の夏は、南北海道大会の準決勝で(優勝した)北海に敗れ、甲子園出場はかないませんでした。能力の差を感じるというよりは、自分たちの野球を当たり前にやろうという意識の差を痛感した。今後はその差を埋めていきたい」
佐々木の教え子にはWBCでも活躍した伊藤大海(北海道日本ハム)らがいる。
「他にも社会人野球で現役を続けている子もいますし、大学でキャプテンを務める子が多いことは指導者として嬉しいですね。甲子園という目標が監督である自分のモチーションであり支えであり、教え子の活躍がエネルギーになっています」
4年連続で甲子園に出場し、3年連続で夏の選手権大会の決勝に進出したあの時代が、たまゆらの夢ではなかったことを、佐々木は証明しようとしている。
◆取材・文/柳川悠二(ノンフィクションライター)