♦「ユニフォームの重さを背負わないとあかんな」
プロ2年目のオフに近鉄が球団消滅という衝撃的な事態に。球団合併に伴う措置でオリックスに移籍する。主力選手として活躍し、2015年オフにヤクルトへ。年月を重ねると近鉄出身の選手が次々に現役引退し、坂口が「最後の近鉄戦士」となった。
「近鉄では2年しかプレーしていないし、一軍で活躍したわけでもない。メディアにコメントを求められても、『自分に近鉄を語る資格があるんかな』って」
坂口が高卒で近鉄に入団した時、「いてまえ打線」と呼ばれる強力打線でメンバーも個性的だった。中村紀洋(現中日二軍打撃コーチ)、タフィ・ローズ、礒部公一、大村直之、水口栄二(現阪神一軍打撃コーチ)、吉岡雄二(現ルートインBCリーグ・富山GRNサンダーバーズ監督)、川口憲史……。坂口は「すごいなぁ」とファンに近い感覚で見つめていた。球団への思いは、何十年も近鉄で過ごした選手にかなわない。「最後の近鉄戦士」の看板を背負うことに複雑な思いを抱えていた。
だが、2021年の日本シリーズでオリックスと対戦した時、心境に変化が芽生えたという。
「ヤクルトだけでなくオリックスのファンからも大きな声援を頂いて。ユニフォームが変わっても応援してくれるファンがいる。そう考えると、近鉄のユニフォームに袖を通した以上、その重さを背負わないとあかんなって思うようになりましたね。プレーした期間は短かったけど、僕のプロ野球人生の始まりを作ってくれた球団ですから。今も近鉄のユニフォームを着て声を掛けてくださるファンがいる。ありがたいですよね」
一軍の舞台で活躍し、「最後の近鉄戦士」というテロップが映像に出ることが、近鉄ファンへの恩返しになる。ファーム暮らしが長くなった現役最終盤は、近鉄出身の選手として1年でも長くプレーすることが大きなモチベーションになっていた。
振り返れば、2年間の近鉄時代は濃密な時間だった。ファームの先輩たちは猛練習で自分を追い込み、並外れた食事量で豪快に酒を飲む。骨折しても、「出られるやろ」と試合に強行出場するのが当たり前だった。個性的な先輩たちに憧れたが、「近鉄の血」は坂口にも継承されていた。肉離れしても骨折しても試合に出続ける。アキレス腱を痛めた時は、アメフト用の硬いテーピングでスパイクと足首を一緒に巻いて試合に出たことも。2011年に最多安打に輝き、ゴールデングラブを4度獲得。通算1526安打を積み上げた。
今は心から思える。
「近鉄で野球人生をスタートして良かった」
野球解説者、独立リーグ、アマチュア野球の指導など多忙な日々を送る中で、「貴久さんのように、携わった選手の心に少しでも何かが残る指導をしたい。そのために勉強の日々です。NPBの舞台に指導者として戻りたい気持ちもあります」という大きな目標がある。
新たな挑戦は始まったばかりだ。【了 前編を読む】
■取材・文/平尾類(フリーライター)