「『仁義なき戦い』は今でもセリフを覚えていますよ」
しかし、大作『無用ノ介』主演は、俳優として名を上げるにじゅうぶんだった。ドラマ終了後、舞台では劇団「新国劇」と契約し本格的に殺陣を学んだ。映画では東映と契約。大ヒットした実録ヤクザ映画『仁義なき戦い』などで活躍した。
「僕は学生時代、自分の口から言うのも何ですが、真面目な模範生だったんです。勉強は全然ダメだったけど、校則を破るとか、ケンカとか一切やりませんでしたから。でも、ヤクザ映画を観るのは大好きでね。『仁義なき戦い』は今でもセリフを覚えていますよ。
撮影現場では興味津々でした(笑)。当時は、ホンモノのその筋の方が来て賭場のシーンの見本を丁寧に見せてくれたりしましたから。ロケは京都の東映や大阪・西成で行ったのですが、西成で撮ったときは、僕らが朝に到着すると、その筋の方たちが大きなアメ車のリンカーン・コンチネンタル数台でバーッと現われて、撮影しやすいにようにきちっと交通整理してくれました。ビックリしましたね!
『仁義なき戦い』は本当に個性的で魅力的な役者さんがたくさん出演していましたよね。(主演の菅原)文太さんは、当時からライティング待ちなどの間には、お芝居より政治の話をよくしていて意外に感じましたね」
『必殺仕事人』でNGが多かったシーンは…
1979年から2年半ほど放送された時代劇『必殺仕事人』(テレビ朝日)で伊吹さんは、妻子とおでんの屋台を引きながら、“仕事人”を務める畷(なわて)左門役を演じた。
「娘役を演じた女の子が、うちの長女と同い年だったので、演じながらだぶってね。女の子はとくにかわいく思えますからね、男親というのは。
最初はカツラを被って同田貫(注:どうだぬき。刀工のこと)の刀で“仕事”をする浪人役だったのに、刀を使うのは主人公の中村主水(もんど)と同じだから、というので、プロデューサーと殺陣師が考えて、途中から短髪、着流しで、素手で悪人の背骨をボキボキっとやって殺す、という設定になったんです。次のシリーズからかと思えば、『来週から』と告げられ『ええ、いきなり!?』って。違和感ありましたよ(笑)。
背骨をボキボキやって、人間の身体を後ろに二つ折りにして殺すので、上半身と下半身は別の人間が演じていたわけです。上半身はもうガクッといっているのに、下半身はまだピクピクしているとおかしいから、お互いの事切れるタイミングを合わせるのが難しく、案外、NGが多かったんですよ」