「年功序列」の弊害
今回、ようやく41代式守伊之助が38代木村庄之助に昇格することになったわけだが、そのタイミングで行司の序列ナンバー2で三役格行司6代木村玉治郎が協会に退職届を出したと報じられたのだ。協会からの正式発表はなく、退職の理由も明らかになっていないが、所属部屋の立浪親方(元小結・旭豊)が退職届を提出した事実を認めるコメントが報道された。その背景には、行司の処遇を巡る複雑な事情がありそうだ。前出・担当記者が言う。
「行司の世界も力士と同様、1日でも早く入れば兄弟子となる。その後の出世は、勝負判定の成否や土俵態度などの成績評価によるものとされているが、実態としては入門順(勤続年数)による年功序列。行司階級の昇格は特別な失態がない限り、場所を重ねることでワンランクずつ昇格することが慣例となっている。力士のように弟弟子が兄弟子を番付で追い越すケースはほとんどない」
こうした「年功序列」の弊害として、行司を巡るトラブルが起きるのだと話すのは、協会関係者のひとりだ。
「年功序列のみで昇進させていったことで、大一番での差し違え問題が起こるようになった。そこで成績評価が導入されるようになりました。勝負判定の良否はもちろんのこと、土俵上での態度や掛け声、後進の指導力、相撲漢字の習得など、審判部や巡業部の考査表をもとに、9月場所後の理事会審査を経て翌年の1月場所で昇格する仕組みになっています。
このようなルールを作っても基本的には年功序列は変わらないが、その弊害として上位の行司が空位になってもすぐに下から繰り上げられなくなった。なかでも定員が2名の立行司では渋滞が起こりやすく、41代式守伊之助がその技量への疑問があったことで長く木村庄之助に昇格できず、最高位が空席となる状況が長く続いてしまった」