相撲一覧

【相撲】に関するニュースを集めたページです。

5月場所で早々に負け越しが決まった大関・御嶽海(写真/共同通信社)
「ダメ大関」改革案 昇進のハードル上げ、公傷制度を復活させる選択肢もあるか
 大相撲7月場所の成績を見るまでもなく、正代、御嶽海、貴景勝の3人の大関陣がファンの期待に応えていると言い難い。一方で、3大関が故障を抱えながら土俵に上がっているという事情はある。「かつては大関互助会などという言葉もあったくらいで、最後は大関が全員負け越さないように星を調整していたような時代もあったが、2010年の八百長問題発覚以来、ガチンコが徹底され、ケガも増えた。9勝6敗くらいの成績で大関の地位を維持する“クンロク大関”が揶揄された時代とは違う。それも事実だ」(相撲ジャーナリスト) そうしたなかで、「仕組みを見直すべき時がきているのではないか」と指摘するのは、相撲協会の公益財団法人化に際して設置された「ガバナンスの整備に関する独立委員会」で副座長を務めた慶應大学商学部の中島隆信教授だ。「大関昇進の目安は『3場所33勝』ですが、昇進後にその水準の成績を維持できる大関はほとんどいない。それをクリアできた大関は、『2場所連続優勝に準じた成績』ということで横綱に昇進していく。その結果、大関は中途半端というか不安定な力士のたまり場になってしまう。これは今の制度では仕方がないこと。改めるには、昇進のハードルを上げて、その代わりに陥落しにくい仕組みが必要ではないか」 大関昇進に際して「3場所33勝」に達していないケースも多数ある。横綱昇進も「準じた」の解釈の幅がある。協会としては、興行の目玉となる横綱や大関が欠けるのは避けたい意図もあるのだろう。しかし、それが今のような事態を招いた可能性があるという指摘だ。「ガチンコ相撲を徹底するとケガが付き物になる。にもかかわらず大関が2場所連続で負け越すと陥落する仕組みでは、故障を抱えながら無理して出るとか、地位を守るために相撲が小さくなることがある。 昇進のハードルを上げることとセットで、大関だけはケガをして休んでも番付が落ちない公傷制度を復活させる選択肢もあるのではないか。ある程度安心して相撲が取れる環境を作らないと、どうしても本来の強さは出てこない。大関で不甲斐ない相撲を取る力士が増えれば、大関の地位そのもののイメージが悪くなる。改善していくのは相撲協会の責務ではないかと思います」(中島氏) 照ノ富士が一人横綱なのだから、本来なら当然、大関陣が毎場所のように優勝争いに絡んでこなくてはならない。そうなっていない以上、令和の大相撲のどこかに、問題があることは間違いない。※週刊ポスト2022年8月5・12日号
2022.07.29 07:00
週刊ポスト
各界のプリンスと呼ばれた貴ノ花(時事通信フォト)
貴ノ花、清國、大麒麟、豊山など 横綱を苦しめた昭和の名大関たち
 大相撲7月場所。正代、御嶽海、貴景勝の3人の大関陣は前場所と同様に序盤から揃って星を落とし、館内はため息に包まれた。物言いを催促するような仕草を見せたり、横審の苦言に対して愚痴をこぼしたりと言動が疑問視されるシーンもあった。“昭和の名大関”と呼ばれた力士たちは、違ったはずだ。 相撲取材歴70年の元NHKアナウンサー・杉山邦博氏は「“名大関”の定義は難しいが、大関だったからこそ、その存在が光り輝いたと言えるのは貴ノ花でしょう」と語る。 1972年9月場所後に大関昇進を決めた貴ノ花は、粘り強い足腰と端正なマスクで“角界のプリンス”と呼ばれた。「軽量力士だった貴ノ花の場合、体つきからして横綱に昇進しても苦労することが想像された。ファンには“綱を張ってほしい”という願いがあったが、今から振り返れば無理に横綱にならないでよかったのかもしれない。そうした状況のなかで、大関としての存在感を十分に見せつけた力士と言えます」(杉山氏) 優勝は大関時代の1975年3月場所と同9月場所の2回だが、印象は鮮烈に残っている。いずれも優勝決定戦の相手は“強すぎて嫌われた力士”の代表格と言える横綱・北の湖。初優勝時は左四つから右前まわしを引き付け、寄り切った。場内には無数の座布団が舞い、歓喜の優勝パレードには2000人が集まった。「貴ノ花は、小結時代の1971年5月場所では“昭和の大横綱”である大鵬に黒星をつけ、翌日に大鵬が引退を表明。強い横綱を打ち破る力士という印象があるからこそ、綱は張れなかったがファンに愛され、長く記憶に残っている」(ベテラン記者) 大関在位50場所目となった1981年1月場所で、ケガで満身創痍だった貴ノ花は30歳にして引退を表明。その引退の日にNHK中継を担当し、思わず声を詰まらせていたのが前出・杉山氏だが、「横綱を苦しめる、というのが名大関の条件になるでしょう」と続ける。「その意味では、1969年5月場所後に大関に昇進した清國を挙げたい。初土俵が同期だった大鵬を苦しめ、存在感をアピールしました。強烈な右おっつけで大鵬のヒジを壊すほどの力を見せつけました」 清國は新大関だった1969年7月場所では千秋楽の本割の土俵で大鵬を破り、藤ノ川との優勝決定戦を制して新大関場所優勝を果たしている。杉山氏が言う。「清國と同時代には重い腰と柔らかい体で個性的な四つ相撲を取った大麒麟(1970年9月場所後に大関昇進)もいました。部屋の兄弟子である大鵬のライバルだった横綱・柏戸に対して通算対戦成績で勝ち越し(9勝8敗)ており、“柏戸キラー”として名を馳せた。個性があり、存在感を発揮してくれた力士です。 たしかにそうした昭和の名大関と比べると、今の大関は情けないですね。存在感が極めて薄い。アピールするものが少なく、残念で仕方がありません。原因は心技体の『心』の部分に尽きるのではないか。典型的なのが正代。実力がないわけではないが、精神的に弱い。御嶽海にしても負け方があっさりしすぎている。名大関と言われた力士たちとの違いは大きい」大関が弱いと面白くない 1963年1月場所後に昇進し、“インテリ大関”と呼ばれたのが、引退後に理事長も務めた豊山である。 東京農大で学生横綱のタイトルを獲得し、双葉山率いる時津風部屋に入門。幕下付け出しデビューから6場所で新入幕を果たし、さらにそこから7場所で初の学生相撲出身の大関となった。突っ張りと右四つからの攻めを武器にスピード出世をした印象が強く残る。「豊山は横綱になり得る実力を十分に備えていたと思います。しかし、大鵬、柏戸の厚い壁に阻まれた。同じ時代にがむしゃらにぶつかっていって綱を掴んだのが佐田の山でしたが、いかにもインテリらしく土俵を務めたのが豊山でした。組み止めての四つ相撲へのこだわりが強く、その意味では個性的でしたし、横綱に相応しいと思って見ていましたが、“柏鵬時代”に生まれたことが不運だった大関と言えるでしょう」(杉山氏) 平成の時代になってからの力士だが、2000年7月場所後に大関に昇進した魁皇も、「横綱になれる素質を持ちながら、大関の地位で終わった力士のひとり」(同前)である。大関在位65場所は歴代1位タイ、大関として4回の優勝を誇る。「2004年9月場所では13勝2敗で優勝し、翌11月場所では横綱・朝青龍に次ぐ12勝3敗で準優勝だった。あの時に横綱に昇進させてもよかった。ただ、11月場所の千秋楽で魁皇は朝青龍に勝っているのですが、前日の時点で星2つの差があったので14日目に優勝が決まってしまっていた。その印象の悪さもあって昇進を果たせず、成績を残しながら運が伴わなかった大関です」(杉山氏) いかに横綱と対峙したかで、“大関としての価値”は左右されるわけだ。 大鵬・柏戸の時代の清國がいれば、北の湖・輪島の時代の貴ノ花がいる。そして、最強力士の座が北の湖から千代の富士へと移り変わる1980年代には、大関に北天佑、朝潮、若嶋津、琴風が並び、“花の大関4人衆”と呼ばれた。「いずれも安定した成績を残し、大関時代に優勝している力士だが、なかでも“北海のシロクマ”の異名を取って人気を博したのが北天佑。同部屋の北の湖や増位山に鍛えられて出世街道に乗った。千代の富士や北尾との熾烈なライバル関係で土俵を沸かせました。ケガもあって30歳で引退したが、当時史上2位の大関在位44場所を記録しています」(ベテラン記者) やはり、貴景勝や正代、御嶽海は、彼らと比べて見劣りしているように感じられてならない。杉山氏は嘆息する。「70年間、現場で相撲を見続けてきただけに、残念であり、歯がゆい。大関が強い時代は相撲が面白いんです。彼らは優勝できなくても、終盤に波乱を起こす。平幕が横綱と優勝争いをしていてはダメなんです」※週刊ポスト2022年8月5・12日号
2022.07.28 07:00
週刊ポスト
入門から8年で、ついに悲願だった優勝を果たした逸ノ城(時事通信フォト)
祝優勝・逸ノ城 「勝ち越し」を願った七夕の短冊が「がちこし」に、それでも思いは伝わった
 大相撲名古屋場所で悲願の初優勝を成し遂げた逸ノ城。優勝インタビューでは、モンゴル出身の逸ノ城のぎこちない日本語が初々しく、純朴そうな人柄が表われるコメントぶりに、会場の観客は沸き、拍手を送った。会場となったドルフィンズアリーナには、関取以上が自筆で短冊に願いを書き込む恒例の「七夕飾り」が設置されていたが、大願成就となった逸ノ城の書いた短冊には、ちょっと「?」な文字が――。 7月10日に初日を迎えた今回の名古屋場所では、関取衆が場所前に願いを込めた短冊が展示されていたが、逸ノ城は「がちこしすること」と書いていた。「勝ち越し」が平仮名で、かつ「か」の文字が「が」になっていた。結果は勝ち越しどころか12勝3敗で優勝という最高の結果を手にした。 今年29歳になった逸ノ城が来日したのは2010年のこと。照ノ富士、水戸龍と同じ飛行機で日本に到着し、相撲強豪校として知られる鳥取城北高に入った。当時は16歳だった。高校卒業後は同高の相撲部コーチを務めながら、2013年に全日本実業団選手権で個人優勝。 翌2014年初場所では、外国人力士初となる幕下15枚目格付け出しでデビューした。史上2位タイの初土俵から4場所で新入幕を果たし、史上最速の5場所で新三役(関脇)に21歳で昇進。今回の初優勝は新入幕から所要47場所で、歴代9位のスロー記録。入門から8年、来日から12年経っている。 師匠の湊親方(元前頭・湊富士)に聞くと「難しい漢字は除いて、平仮名、片仮名、漢字もすべて読み書きできます」ということだった。実際、入門1年目の2014年12月に開かれた「関脇昇進を祝う会」で、大ブレークとなった1年を表わす漢字を色紙に求められると「逸」とペンを走らせていた。そこでは、「自分の四股名であり、逸材の“逸”なので大好きです」と答えている。 もちろん関取は手形を押した色紙に筆で四股名を書かないといけない。今回の短冊を見ても、「勝ち越し」は漢字ではなかったが、四股名の「逸ノ城」はしっかりと漢字で書かれていた。 会場の短冊を見ていくと、モンゴル出身の千代翔馬が「けがをしないように」、ブルガリア出身の碧山が「かちこせるようにがんばります」とやはり平仮名で書いていた。一方、逸ノ城と同じモンゴル出身力士でも玉鷲は「優勝」、霧馬山は「また二ケタ勝ちます!!」、大翔鵬は「幕内!!!」、東龍は「優勝します」と漢字も使っている。ジョージア出身の栃ノ心は「世界平和」と漢字で書いたが、こちらは自分の四股名の漢字がだいぶ崩したような文字になっている。 各力士のインタビューの機会などを思い返すと、日本語が苦手という印象はあまりないが、文字については個人差があるのだろうか。呼び出しのひとりはこう話す。「モンゴル出身力士は間垣親方(元横綱・白鵬)に代表されるように流暢な日本語を話す人が多い。これは日本語とモンゴル語の言葉の順番(主語・目的語・動詞)が似ていて、単語を置き換えるだけで話ができるからだそうです。そのため欧米出身の力士たちよりも日本語が上達しやすいといいます。漢字はカラオケの歌詞で覚える力士がほとんど。簡単な漢字は読み書きができるが、新聞や雑誌は読めないケースも少なくない。モンゴル出身力士では、大学教授を父に持つ鶴竜親方(元横綱・鶴竜)がいちばん日本語の読み書きが上手いと思います」 優勝した逸ノ城に「おめでとう。よかったね」とLINEを送った後援者には、逸ノ城から「応援ありがとうございました」と返信があったという。ただ、携帯電話(スマホ)の普及が、日本語の読み書きの習得にはマイナスにはたらいている面もあるのだという。前出の呼び出しが続ける。「日本の高校に相撲留学するモンゴル人が多くなり、漢字の読み書きもできる新弟子が多くなりましたが、入門後に携帯を持つようになると、平仮名を漢字に変換してくれるため、それまで書けた字が書けなくなるケースが増えている印象です。逸ノ城もそうした一人でしょう。日本人でさえパソコンやスマホがあることでどんどん漢字が書けなくなっているくらいですから、外国人にとっても影響が大きいのは当然です」 日本語は「世界で一番難しい言語」と言われるだけに習得は大変だ。力士の本分はもちろん土俵だから、完璧な日本語でないとしても、その思いはファンには伝わる。逸ノ城は、勝ち越し、そして初優勝では終わらない大きな夢を見せてくれることだろう。
2022.07.27 11:00
NEWSポストセブン
突然の訃報だった(真剣な表情で取組を裁いている写真は2012年当時のもの。時事通信フォト)
追悼・37代木村庄之助「亡くなる3日前」に語っていた式守伊之助「まわし待った」騒動への見解、そして行司の仕事への誇り
 7月26日、日本相撲協会は立行司である37代木村庄之助を務めた畠山三郎さんが22日に慢性間質性肺炎のため自宅で亡くなったと発表した。72歳だった。本誌・週刊ポストは亡くなる3日前に畠山さんの自宅で取材し話を聞いていたが、その直後の訃報となった。畠山さんはその日の取材で、名古屋場所中日の結びの一番である照ノ富士-若元春戦で、立行司の式守伊之助が「まわし待った」をかけた取組について、見解を語っていた。 取材当日に妻・静子さんが案内してくれたリビングで、畠山さんは横になった状態でNHKの相撲中継を見ていた。「足が痛くて座れないんだ。悪いね」と言いながらも、笑顔で記者を迎えてくれた。 2か月前の夏場所中にも、畠山さんが2015年に退職して以降、行司の最高位にあたる「木村庄之助」が7年間不在となっていることについて話を聞くために自宅にお邪魔した。その時も畠山さんは同じように横になった状態で話をしていたが、今回のほうが声を出しにくくなっているように見えた。 取材の主題であった名古屋場所中日の結びの一番では、若元春のまわしが緩んでいたことから、行司である式守伊之助が「まわし待った」をかけたが、その声かけに気づかなかった若元春が力を抜いた照ノ富士を寄り切ってしまうという事態が起きた。 佐渡ヶ嶽審判長らが土俵上に集まり、2分半の長い協議の末に元の体勢から再開することが決まった。再開後、わずか9秒で若元春が下手投げで敗れた。この一番について畠山さんはこう語っていた。「審判規定には“行司は動きを止めて、(まわしを)締め直させることができる”とある。だから『まわし待った』をかける判断自体は間違っていなかった。土俵下の審判からも“まわし”の声が掛かったのではないか。ただ、まわしが緩んでも力士が動いている時は止めない。そのタイミングが少し遅れたんだろうが、止める時は思い切って止めないといけない。 問題はどこから再開するかということだったと思う。動いていたのだから(まわし待ったがかかった瞬間は)誰にもわからない。照ノ富士が左で取っていたのは1枚まわしだったが、再開後はしっかりとつかんだ左下手で(若元春を)転がした。まわしを締め直すのだからそうなる。 本来、まわし待ったをする時は、両者分かれての『水入り』と違って土俵上で組み合った状態で締め直す。そのため元の体勢のまま再開できるが、今回は動いてしまっていた。審判部長が土俵上でビデオ室と連絡を取って再現しようとしていたが、動きがあったらからどの形から再開するのが正しいかわからない。他の審判が指摘することもできない。蹲踞(そんきょ)からやり直してもよかったのではないか。審判部の判断だから何とも言えないが、その選択もあったと思う」行司になってよかった 畠山氏が2015年に定年退職して以降、最高位の「木村庄之助」は7年間も空席のままになっている。現在の41代式守伊之助は健康問題に加え、差し違えや土俵からの転落などが多く、これまで昇格が見送られてきたとされる。 これについて畠山さんは「よく聞かれるが、(昇格は)私が決めることじゃないのでね……答えられないよ」とするのみだった。5月の取材で聞いた時も同じ答えだった。そして畠山さんは「ただ、行司は土俵上の勝負判定だけじゃないからね」と付け加えた。 行司には場内放送、顔触れ書き、番付書き、取組編成会議での書記、巡業での会計など様々な役割がある。特に立行司は土俵祭りの祭主、翌日の取組を披露する顔ぶれ言上など仕事は多い。 5月の取材時には、畠山さんが「(行司が)左腰に小刀を帯びている」ことついて言及する一幕もあった。もともとは差し違えがあった時に切腹するためという由来があるが、「そういう覚悟をして土俵に上がっているということです」と話していた。「勝負判定を間違った時に、いちいち切腹はできないですからね(苦笑)。それでも三役格以上はその日のうちに進退伺を出ださないといけない。1場所で2回の差し違えで謹慎処分が出たケースがあるが、それほど行司の勝負判定は間違ってはいけない。庄之助を9場所、(式守)伊之助を6場所やりましたが、その間に1回も行司黒星(差し違え)はなかった。立行司として約3年間で1度も(差し違えが)なかった。それが私の誇りだね」 37代木村庄之助の畠山さんは、2014年5月場所12日目の豪栄道-鶴竜戦で、鶴竜に軍配を上げたところ、控えの白鵬が右手を挙げて物言いをつけたことで知られる。協議の結果、豪栄道が髷を掴んでいたことで鶴竜が反則勝ちとなったが、「髷を掴む行為は難しい」と振り返っていた。「行司が(髷を掴んだと)指摘することは少ない。もちろん控えの力士が物言いをつけるのが認められているが、多くの場合は審判が指摘して、ビデオ判定で反則負けかを判断する。反則負けは差し違えとはならないんです」 その言葉からは、畠山さんが「木村庄之助」を勤め上げたことを誇りに思っていることがよくわかった。ただ、今回の取材は5月に比べて声が出なかったり、話の途中で下腹部を抑えながら苦しい表情をするシーンもあった。それでも相撲中継を見ながら「この行司の立ち位置がよくない」と画面に向かって熱心に語りかけていた。 名古屋場所の13日目に亡くなった37代木村庄之助の畠山さん。記者が「行司は大変な仕事ではないか」と質問をぶつけた時には、「行司になってよかったよ。相撲が好きだから」と話していたのが印象的だった。ご冥福をお祈りしたい。■取材・文/鵜飼克郎
2022.07.26 21:00
NEWSポストセブン
優勝した逸ノ城
優勝の逸ノ城「モンゴル力士グループと一線を画す姿勢」がついに花開いた
 コロナ禍で全627人のうち約3割にあたる174人が休場となった7月場所を制したのは、モンゴル出身の逸ノ城だった。2014年1月場所で幕下15枚目格付け出しデビューし、同年11月場所では史上最速の5場所で新三役(関脇)に昇進。モンゴルの怪物として注目された。当時は白鵬、鶴竜、日馬富士という“モンゴル出身3横綱”が君臨した時代だったが、逸ノ城は「グループの一員」という印象ではなかったという。 若手親方はこう振り返る。「逸ノ城のデビュー当時、モンゴル力士グループは朝青龍派と旭鷲山派に分かれていた。2人ともすでに引退していたが、その人脈として朝青龍派の代表が日馬富士、旭鷲山派の代表は白鵬といった色合いがあった。それぞれのグループで一緒にモンゴル料理を食べに行くなどプライベートでも行動を共にしていたが、逸ノ城はどちらのグループにも属そうとしなかった。 逸ノ城は遊牧民出身で、モンゴルの首都・ウランバードル出身の他のモンゴル勢とは距離があったのでしょう。デビュー当時は仕度部屋でも誰かとつるむ様子はなかった。関脇でありながら決まった場所には座らない。玉鷲、荒鷲、旭秀鵬といった中間派のモンゴル力士グループに声をかけられることもなく、力士の隙間になんとか場所を確保している状態で、浮いている印象がありました」 その後にモンゴル出身力士たちの人間関係に決定的な亀裂を走らせたのが2017年10月に秋巡業先の鳥取で起きた「日馬富士暴行事件」だが、連日ニュースを騒がせた事件に、逸ノ城は巻き込まれずに済んだ。相撲担当記者が解説する。「当時の白鵬、日馬富士、鶴竜の3横綱に、鳥取城北高校OBである照ノ富士、貴ノ岩、石浦の関取衆3人を含む計13人が参加した食事会で、二次会の席上で日馬富士が貴ノ岩へ暴行を加え、角界を揺るがす大事件に発展しました。逸ノ城も鳥取城北高校出身ですが、運よく秋巡業を腰痛により途中休場していたこともあって参加していなかった。もともと、照ノ富士と逸ノ城は同じ飛行機で来日して鳥取城北高校に入学していますが、照ノ富士が部屋の移籍によって同じ伊勢ヶ濱部屋の先輩となった日馬富士と交遊を深めたのに対し、逸ノ城は距離を置いたままだったのがよかった面もあるでしょう」 当日の飲み会では、白鵬をはじめとする横綱たちが、貴ノ岩や照ノ富士ら同郷の後輩を締め上げた。膝の故障を抱える照ノ富士に対して正座させて説教し、その後に膝の容態を悪化させた照ノ富士は序二段まで陥落してしまった経緯がある。相撲協会の調査報告書によれば当日、正座させられた状態で日馬富士に頬を張られた照ノ富士は一言、「ごっつぁんです」と応じたといい、グループ内の“上下関係”には驚かされる。「同郷の先輩横綱」相手には勝てなかった 逸ノ城はそうした場に居合わせずに済んだわけである。しがらみにとらわれないこともあってか、2014年9月場所では鶴竜との初対戦で立ち合いに変化して0.9秒で金星を獲得している。ただ、そうしたスタンスが同郷の先輩力士たちからは睨まれることにもつながったように見えたという。相撲担当記者が言う。「関脇としてのデビュー場所では初日に対戦した日馬富士にフライング気味の立ち合いで土俵下に落とされ、巡業では金星を奪った相手の鶴竜から連日のようにかわいがられた。鳥取の夜の呼び出しを断わった玉鷲のように同郷グループと完全に一線を画していたというよりは、逸ノ城は面倒そうな人間関係に巻き込まれたくなかっただけでしょう。結局、モンゴル横綱たちに対しては本気でぶつかるモードになれなかったところがあるのではないか」 白鵬をはじめとしたモンゴル横綱たちに対して、土俵上では徹底的に負かされた。通算成績では白鵬に3勝13敗、日馬富士に2勝7敗、鶴竜に3勝13敗という数字だった。番付上位の日本人力士を相手にした時の数字と比べると、その違いははっきりしている。稀勢の里に対しては7勝8敗(対横綱戦としては4戦4勝)、貴景勝に7勝9敗、正代には12勝5敗という成績を残している。 昨年9月場所で白鵬が引退。一時の勢いを失ったように見えた逸ノ城は、幕内上位で存在感を見せるようになり、ついに初めての賜杯を手にした。5場所で関脇まで駆け上がったデビュー当時の相撲が戻ってきたように見える。前出・若手親方が言う。「逸ノ城の初優勝を一番喜んでいるのが、モンゴルから同じ飛行機で来日した照ノ富士ではないか。千秋楽に優勝した逸ノ城と記念撮影する白鵬(間垣親方)と鶴竜(鶴竜親方)の写真が翌日のスポーツに掲載されたが、モンゴル出身力士たちは複雑な気持ちで見ていた部分もあるのではないか」
2022.07.26 11:00
NEWSポストセブン
コロナ休場となった御嶽海(写真右/時事通信フォト)
大相撲の大関は「年間たった24勝」で居座れる!? なぜ、こんな制度になっているのか
 大相撲で今年に入ってから大関陣の情けなさが際立っている。7月場所でも序盤から3大関が星を落とし、カド番の御嶽海は2勝4敗と黒星が先行した状態でコロナ感染による不戦敗、そして途中休場となった。貴景勝、正代も後半戦になんとか盛り返して勝ち越しを決めたとはいえ、安定した成績が残せない。横綱に次ぐ地位でありながら、それに見合う相撲が取れているとは思えないが、それでも番付が落ちるわけではない。「大関」とは一体なんなのだろうか。 7月場所では前半戦で3つの黒星を喫した貴景勝だが、今年に入ってからは1月場所が1勝3敗11休、3月場所が8勝7敗、5月場所が8勝7敗と、文字通り“勝ち越すのがやっと”の数字しか残せていない。カド番として臨んだ7月場所で5日目までに1勝4敗という危機に陥った正代も、1月場所が6勝9敗、3月場所が9勝6敗、5月場所が5勝10敗という数字で、カド番を繰り返している。 今年1月場所で関脇として優勝し、場所後に大関昇進を果たした御嶽海は翌3月場所こそ11勝4敗の成績を残したが、5月場所は6勝9敗と負け越し、大関3場所目にしてカド番という状況だった。7月場所はコロナ感染で途中休場となったが、相撲内容は惨憺たる状況だった。「現行の大関制度では、2場所に1回8勝すれば地位は守れる。年6場所で24勝すれば大関に居続けることができるわけです」と相撲担当記者は苦笑いする。 実際、2021年の貴景勝は2場所の途中休場があり、年間で45勝しか挙げていない。1場所平均7.5勝という計算になる。正代は6場所全勤し、負け越したのは1場所ながら52勝。1場所平均8.6勝だった。今年はさらにひどく、5月場所までの3場所で1場所途中休場がある貴景勝は17勝で1場所平均5.7勝、全勤の正代は20勝で1場所平均6.7勝だ。これで大関の地位を守ってきた。 7月場所は13日目を終えて貴景勝が10勝、正代が8勝なので2人とも平均の勝ち星数は増えるが、とても満足のいく水準とは言えないだろう。北の富士氏も、正代が12日目で勝ち越したことを受け、中日スポーツのコラムで〈正代は今ごろ力を出してどうする。勝ち越せば大関の責任を果たしたと言えるのか。力を出すなら初日から出さんかい〉(7月22日付)と手厳しくコメントした。 関脇以下なら基本的に1つ負け越せば、番付が1枚下がる。例外となるのが、番付が落ちることがない「横綱」と、1場所負け越してもカド番となるだけで番付は変わらず、2場所連続で負け越すことで陥落となる「大関」だ。いつからこのような制度になっているのか。「1958年に年6場所制となった際、大関は『3場所連続負け越し』で関脇に降格されるという仕組みが導入されたことがあります。それまでは2場所連続負け越しで陥落していたのですが、本場所が多くなって体調管理が大変だということで、元・双葉山の時津風理事長のもとで条件の緩和が決まった。 ただ、当時は3場所連続負け越しという基準に緩和したというのに、カド番となって陥落が決まる大関が出ていた。松登、若羽黒、栃光(陥落決定後に引退)が3場所連続負け越しを記録しています。そのうちに大関が負け越すことが多くなり、大関の地位に踏みとどまれることへの批判が高まったことで、元・出羽ノ花の武蔵川理事長時代の1969年7月場所から『2場所連続負け越し』と厳しい基準に改められた。ただし、その際に救済措置として『陥落した関脇で10勝すれば返り咲ける』という仕組みが設けられた。これが現行のカド番ルールなのです」(前出・相撲担当記者) 大関陣が勝ち越しと負け越しを繰り返すような状況だと、“弱いのに番付が落ちない”ことが理不尽に見えてしまうが、過去の経緯からすればルールは厳格化されてきたとも言えるわけだ。ベテラン相撲ジャーナリストはこう言う。「陥落のルールよりも、大関昇進の基準を改めるべきではないか。『三役3場所で33勝』という目安が設けられているが、実力を評価するうえで機能していないように感じられる。そもそも目安だから満たしていなくても昇進している例が多いが、その結果を見ていると、大関に上がる前の3場所の成績とその後の活躍が符合しないケースが目立つ。 かつて鏡里、初代若乃花、北の富士は3場所28勝で大関に昇進したが、この3人はいずれも後に横綱昇進を果たしている。逆に37勝の北天佑や栃ノ心、36勝の琴欧洲は大関止まり。3場所の勝ち星という数字だけでなく、相撲内容を加味した評価などが必要ではないか」 議論の余地は多そうだ。
2022.07.23 07:00
NEWSポストセブン
名古屋場所の七夕飾り
休場の御嶽海が「優勝」、正代は「角番脱出」…名古屋場所会場「七夕の短冊」にファンも複雑
 大相撲名古屋場所は、新型コロナの感染拡大が始まって以降で初めて、観客の上限数を設けていない。会場となっているドルフィンズアリーナを訪れると、NHKの大相撲中継では映らない様々な光景を目にすることができる。たとえば、7月10日に初日を迎えるタイミングだったことから、七夕飾りが展示されているだのが、短冊に書かれた力士たちの「願いごと」を見ていると、複雑な気持ちになるものも――。 NHKの大相撲中継は元横綱・北の富士や舞の海、親方たちの解説があり、支度部屋情報も聞くことができる。NHKは相撲協会に「1場所5億円の放映権料を支払っている」(担当記者)とされるが、会場を訪れることでしか見られないものもある。たとえば、無気力相撲を監視する役割を担う監察委員たちが天井近くの委員室から土俵を見ていたり、髷がついたジャンパー姿の新米親方が場内警備で歩いているところに出くわすこともある。 最近は相撲協会の公式グッズの売店が設けられ、若手親方たちが慣れない手つきでレジを打ったり、商品を袋に詰める作業をしている姿を目にすることができる。関取時代はファンに囲まれて声援を送られていた力士たちが、髷を切って相撲協会の協会員になると下働きに走り回っているわけだ。 7月場所ではドルフィンズアリーナの正面玄関に天皇賜杯や総理大臣杯などの優勝カップなどが展示されているが、その反対側に恒例の七夕飾りがある。十両以上の関取が短冊に願いを書き込んでいる。コロナの影響で3年ぶりに設置されたが、会場に来たファンがまず目にする場所に設置されているのだ。 七夕飾りの横には〈七夕企画 関取衆の願い事 「七夕の日」に向けて関取衆が短冊に願い事を書きました! どんな願いごとが書かれているのでしょうか。是非、ご覧ください!〉とあり、親子連れが贔屓の関取の短冊を探す姿があった。ただ、力士によってはかなり“ガチンコ”の願いを書いている。「正代のはどこかな?」とやってきた小学生低学年の男の子は、金色の短冊に〈角番脱出〉と書かれたあまりにシンプルな願いごとにしばし言葉を失っていた。中日まで4勝4敗で正代の願いが叶うかは先行き不透明だ。 横綱・照ノ富士は〈無事に15日間終わりますように〉と書き、大関・御嶽海は〈4回目の優勝〉、大関・貴景勝は〈優勝〉とだけ書いた。照ノ富士は序盤で2敗し、貴景勝もなかなか白星が先行しない苦境が続いた。御嶽海は黒星が先行し、7日目からは部屋関係者に新型コロナ感染者が出たことで休場となってしまった。なかなか願いが届かないようだ。  初日から6連勝して1横綱、2大関を倒した逸ノ城は〈かちこしすること〉と謙虚な願いごとで、もう願いが叶うのは間違いなさそうだ。初日に照ノ富士に土をつけた小結・阿炎の短冊には〈自分の相撲を極めたいです〉とある。関脇・若隆景は〈二ケタ勝利〉と書き、玉鷲は〈優勝〉と書いた。ジョージア出身の栃ノ心は〈世界平和〉という願いを書き記している。下位力士のほうが余裕の茶目っ気 願いごとは土俵上のことにとどまらず、宝富士は〈家族が健康でいられますように〉と書き、石浦は〈家内安全〉と家族思いの一面を見せた。翠富士は〈男気のある男になれますように〉とする。 一方で、千代大龍の〈ロレックスデイトナほし~い〉のように、茶目っ気のある短冊も。大奄美が〈大食いを頑張る〉と書けば、天空海は〈甘い物をたらふく食べたい〉とする。徳勝龍は〈ベストスコアを出したい〉と書き、相撲ではなくゴルフの願いごとになっている。  人気急上昇中の一山本は〈八山本〉と書き、短冊をのぞき込むファンの表情をほころばせていた。「相撲ファンの間では一山本は2勝すれば二山本、3勝すれば三山本と出世する。つまり勝ち越しを意味している」(前出・担当記者)という。 本場所の土俵と同様、上位陣の願いはなかなか叶わずに悲壮感が漂い、余裕があるのは下位力士たち、ということなのか。
2022.07.18 11:00
NEWSポストセブン
1年ぶりに土俵へ戻ってくる元大関・朝乃山(時事通信フォト)
元大関・朝乃山、キャバクラ通いで出場停止1年からの復帰「新たな四股名」の意味
 7月10日に初日を迎える7月場所で、元大関・朝乃山が1年ぶりに土俵に戻ってくる。自身の起こしたスキャンダルによる6場所出場停止処分で、番付は三段目まで落ちた。どのようにして絶望的な状況からの再起を期すのか──。「相撲を愛し、力士として正義を全うし、一生懸命努力します」 2年前の3月、大関昇進の伝達式で朝乃山はそう口上を述べた。その姿を見守り、伝達式後の会見に同席した父・石橋靖さんは、「すがすがしいというか、大きくなったなと思う」と話し、息子の成長に目を細めていた。 しかし、朝乃山の大関としてのキャリアはわずか1年あまりで暗転する。 昨年の5月場所中に、緊急事態宣言下でのキャバクラ通いが『週刊文春』の報道で発覚。朝乃山は当初、相撲協会の事情聴取に対して「事実無根」と否定したが、スマホの位置情報などの調査が進むと、一転して事実を認めた。虚偽の報告をしたこともあり、6場所の出場停止と50%の減給6か月という厳しい処分が下された。 出場停止の1年の間に番付はどんどん下がり、今年3月場所で幕下に。処分が解ける7月場所では三段目西22枚目として復帰する。「不祥事発覚後に朝乃山は引退届を提出し、今もそれが協会預かりとなっている。一時は廃業も頭にあった。ただ、そこから復帰に向けて1年間の謹慎生活を耐えてきたのは、最大の理解者であった父・靖さんの死が大きかったのでしょう」(相撲ジャーナリスト) 朝乃山の処分が決まったのは昨年6月11日に開かれた協会の臨時理事会でのこと。その直後から立て続けに、親しい人との別れがあった。6月27日に祖父・稔さんを亡くし、続けて8月16日には父・靖さんが急性心原性肺水腫で急逝したのだ。「謹慎生活に入った直後だったため、朝乃山は祖父の葬儀には参列できませんでした。父が亡くなった時には地元・富山に戻ったが、当時、番付としてはまだ協会の看板である大関であったにもかかわらず、協会や高砂部屋の関係者からは先代のおかみさん(元大関・朝潮の夫人)が参列しただけでした。 父・靖さんは、息子の大関昇進をいちばん喜び、本場所には富山から駆け付け、朝乃山が不甲斐ない相撲を取ると電話して叱る熱心な人だった。不祥事で謹慎となった時も、関係者に頭を下げて回り、朝乃山を精神的に支えた。それだけに、突然の死に朝乃山のショックは大きかったはずだ」(同前)「新しい四股名」の意味 7月場所での復帰に合わせて、四股名が「朝乃山英樹」から「朝乃山広暉」に改められると発表された。そこには、朝乃山の“父への思いと決意”が込められているという。「2016年の初土俵の時は本名の『石橋広暉』で土俵に上がり、新十両昇進時に『朝乃山英樹』と改名した経緯がある。この『英樹』は、母校の富山商相撲部の元監督で2017年1月に亡くなった浦山英樹さんからもらった名前でした。 恩師への感謝を込めてつけた四股名で大関まで駆け上がった。その後に6場所出場停止処分を受けたわけですが、再起の土俵を見るという願いが叶わなかった父・靖さんのために、父親がつけてくれた本名の『広暉』に改めたのです。これは朝乃山からの申し出だったという」(協会関係者)「広」の字には心の広い人間になってほしいとの願いが、「暉」は名前にはあまり使われない漢字だが、人と同じではない人生を生きてもらいたいとの思いで命名された。「心機一転を図り、父と共に復帰の土俵に上がりたいという気持ちの表われでしょう。父の死を乗り越えて稽古に励み、再び大関に返り咲くことを決意したといいます」(同前) 大相撲の世界では十両以上の関取と、幕下以下の力士では、天と地ほど待遇が違う。協会からの月給の有無から、相撲部屋で大部屋生活となるか個室が与えられるかなど、大きな違いがある。稽古時のまわしの色も、関取は白、幕下以下は黒だ。 3月場所前には高砂部屋の公式ツイッターに稽古動画が投稿されたが、幕下の深井を右四つから寄り切る朝乃山は、黒の稽古まわしをつけていた。 高砂一門関係者が言う。「コロナ禍で出入りが制限されるために稽古内容の詳細まではわからないが、今でも朝乃山が部屋でいちばん強いのは間違いない。現在の部屋頭である十両の朝乃若が稽古場では歯が立たないそうです。 そうしたこともあってか、3月場所で幕下に転落した後も個室を使っている。さすがに大部屋で寝泊まりしろとは言えないのでしょう。表向きは部屋の雑用も率先してやっていると説明されているが、朝乃若の付け人にしたり、朝乃若が朝乃山に対してコンビニでの買い物を命じたりできるはずがない」 高砂部屋の環境も大きく変わった。不祥事の発覚当時、すでに現在の高砂親方(元関脇・朝赤龍)に代替わりしていたが、「65歳定年後も再雇用で協会に残った先代の元・朝潮(当時は錦島親方)が部屋を実質的に取り仕切っていた」(前出・相撲ジャーナリスト)という。「キャバクラ通いの責任が朝乃山自身にあるのは当然だが、元・朝潮の杜撰な管理・指導にも大きな問題があった。朝乃山の醜聞発覚後、元・朝潮がコロナ禍で協会が定めた原則私的外出禁止期間中に朝乃山ら弟子をタニマチとの飲食に連れ回していたことが明らかになり、退職に追い込まれています。現・高砂親方が部屋を取り仕切るようになり、朝乃山がストレスを感じることも少なくなっているだろう」(同前) 精神面での安定が得られる環境になったということだ。前出の高砂一門関係者もこう言う。「気持ちの面ではえらく余裕があると聞いている。焦ることもなく、落ち込むこともない。“来年の3月場所では幕内に戻る”と強気の発言をしているそうです。最速のペースで番付を上げていける自信があるということ。この春に右太ももの軽い肉離れをしたようですが、無理せずに余裕をもって完治させたと聞きます」冷たい目線との苦闘 ただ、復帰後にどこまで活躍できるかはこれからの話で、朝乃山にとって本当の正念場となる。「現在の高砂部屋には将来を期待される学生相撲出身者が多いが、まだ幕下レベルです。出稽古が禁止されるなか、部屋内で敵なしだとしても、どれだけ実力を維持できているかは疑問が残る。部屋ではウエイトトレーニングが流行っているというから、体はできているのだろうが、相撲勘が鈍っていないか不安ですね」(同前) 緊張感ある本場所の土俵に1年間も上がっていないことの影響は決して小さくない。また、15日間土俵に上がっていた関取が幕下に陥落し、1場所で7日間しか土俵に上がらないとペースがつかめないという懸念も指摘されている。「朝乃山は最短で幕内に復帰するつもりかもしれないが、一番でも取りこぼしがあった時に気持ちの余裕が維持できるかが心配です。また、1年間の謹慎中に幕内力士の顔ぶれも大きく変わった。若手の台頭が著しいなか、30歳が見えてきた朝乃山が大関まで戻るのは厳しいかもしれない」(相撲担当記者) 乗り越えなくてはならない壁はまだまだあるということだ。 それでも、朝乃山は勝ち続けるしかない。自身が起こした不祥事によって、確実視されていた「親方として協会に残る」という未来さえ危うくなっているからだ。 若手親方が言う。「もともとは将来、高砂部屋を引き継ぐのが既定路線でした。今も状況としては、先代である元・朝潮が権利を持つ『錦島』の株を継承し、将来的には『高砂』を継いでいる元・朝赤龍と名跡交換して部屋を継ぐのが自然な流れです。しかし、問題は今回の1年間の謹慎という“前科”がどう影響するかです。 5月場所後に引退した元小結・松鳳山は協会に残らず廃業しましたが、これは2010年の野球賭博問題に関与しながら申告せずに2場所出場停止になった過去が影響したといわれている。元大関という肩書きがあるとはいえ、過去最長の6場所の出場停止ですから、よほどの結果を残さない限り、朝乃山が親方として協会に残れるかは不透明です。協会内には朝乃山に同情的な親方もいるが、現在の執行部には厳しい見方をする幹部が多い」 今も朝乃山の「引退届」は協会が預かったままであり、今後、協会に迷惑をかける行為があった場合に未受理の引退届が受理される。処分当時、朝乃山はその旨を了承する誓約書を提出している。 復帰後も常に背水の陣で土俵に臨まなくてはならない朝乃山。どのような相撲を見せるのか、まさに見ものである。※週刊ポスト2022年7月22日号
2022.07.10 07:00
週刊ポスト
松鳳山
人気力士・松鳳山「引退後は親方にならず退職」の裏に70歳再雇用と名跡不足の大問題
 7月場所の番付発表を5日後に控えた6月22日、元小結で38歳という現役最年長関取の松鳳山が引退届を提出。日本相撲協会は受理したと発表し、6月28日に本人の会見が行なわれる予定だ。長く人気力士として活躍した松鳳山だが、引退後は協会に残らない道を選んだ。その背景には、複雑な事情が見え隠れする。 今回の引退表明について、相撲担当記者はこう話す。「先の5月場所は東十両12枚目だったが、8日目から連敗が止まらず11日目に負け越しが決まった。3勝12敗となり、次の7月場所は2011年5月場所以来の幕下陥落が濃厚になっていた。年齢的に幕下からの復帰が厳しいとの判断だが、引退後は協会には残らないという」 力士が引退後に親方として相撲協会に残るためには、105ある「年寄名跡」のいずれかを取得する必要がある。取得には日本国籍を有するとともに、最高位が小結以上、幕内在位通算20場所以上、十両以上在位通算30場所以上のいずれかの条件を満たさなくてはならない。 つまり、幕内通算在位51場所の松鳳山には、襲名の資格がある。序二段で1回、幕下で2回、十両で1回の優勝経験があり、殊勲賞を1回、敢闘賞は3回受賞している。金星も5個獲得し、突き押しの激しい相撲で人気を集めた。通算成績は582勝605敗22休。知名度や実績は十分だ。しかし、松鳳山は退職の道を選んだ。「駒大相撲部から若嶋津(元大関)が興した松ケ根部屋(当時。現・放駒部屋)に入門した。前相撲からスタートし、初土俵から25場所で十両に昇進すると、関取の座を11年間(幕内通算51場所、十両通算17場所)守った。部屋で初の三役力士となるなど、看板力士として活躍したが、年寄名跡取得のメドが立たなかった」(前出・相撲担当記者)師匠は元・稀勢の里と名跡交換 現役中に年寄名跡が取得できない場合、借株を渡り歩いて定年などで空く年寄名跡の取得を目指すことが多い。現在、高砂一門の「錦島」(2021年6月退職の元大関・朝潮所有)と伊勢ケ浜一門の「友綱」(2022年6月退職の元関脇・魁輝所有)が空き株になっている。ただ、松鳳山は借株でも協会に残らなかった。協会関係者がこう言う。「本来、部屋の功労者は師匠から年寄名跡を譲り受けるものだった。先代の遺族の面倒を一生見ることなどが条件とされたが、今は一時金を支払って買い取るようなかたちになっている。そのため資金力のある力士が取得することになる。部屋の力士より一門の力士、一門の力士より他の一門の力士に譲ったほうが高い価値になる。表向きは売買が禁止されているが、指導料などのかたちでの先代との金銭のやり取りもあり、旧態依然とした年寄名跡の制度が大きな壁となった」 今回、好角家たちがクビを傾げたのは、師匠である元・若嶋津が1月場所中に65歳の定年を迎えていたにもかかわらず、弟子の松鳳山に年寄名跡を譲らなかったことだ。もともと「二所ノ関」の名跡を所有していたが、昨年12月、元横綱・稀勢の里と名跡を交換し、荒磯親方として定年後の再雇用制度を利用して参与として協会に残っている。相撲ジャーナリストが言う。「松ケ根部屋を興した元・若嶋津は、その後、名跡交換して二所ノ関部屋となった期間も通じて7人の関取を育てた。その出世頭が松鳳山だった。それゆえ、松鳳山が部屋を継承するものと見られていたが、定年直前の昨年12月に部屋付きの放駒親方(元関脇・玉乃島)に弟子を引き継ぎ、『放駒部屋』と改称。元・若嶋津は部屋付き親方となった。この段階で松鳳山に名跡を譲ることもできたが、若嶋津は参与として協会に残る道を選んだわけです。 背景には、師匠と弟子の間の“距離感”の問題があったとみられます。元・若嶋津と松鳳山は手が合わないことで知られている。松鳳山は相撲に対しては真摯だが、私生活で手を焼くところがあった。2010年の野球賭博事件でも、賭博に関与していたうえに、それを申告せず本場所に出場していたことが発覚。解雇されるところだったが、師匠の尽力により2場所出場停止で収まった経緯がある。そうしたこともあってか、元・若嶋津は松鳳山よりも、役場勤務から脱サラして角界入りした幕内力士・一山本のほうをかわいがっているという。5年後に一山本に名跡を譲るのではないか」 年寄名跡は一門の勢力とも密接に関係する。各一門の利益代表を選ぶ意味合いを持つ理事選においての「1票」になるからだ。そのため一門外に出ることへのハードルが高いが、一門内での受け渡しには寛容だ。つまり、松鳳山も二所ノ関一門内で取得を試みることはできたはずだが、そうした動きを見せた形跡がないという。前出・協会関係者が続ける。「一門の重鎮の尾車親方(元大関・琴風)は、元・若嶋津とは4大関時代のライバルであり盟友。他にも、同期であり同じ二子山部屋に所属した花籠親方(元関脇・大寿山)が理事として一門内の影響力が強いなど、松鳳山は師匠である元・若嶋津の協力がなければ一門内でも手当てが難しい状況があった」元横綱・白鵬も取得に苦労した もちろん、背景には慢性的な年寄名跡不足という問題もある。優勝44回の元横綱・白鵬でさえ年寄名跡「間垣」を取得するのに苦労した。時津風親方の元前頭・時津海の時津風親方が不祥事を起こして2021年2月に退職していなければ、襲名することができなかったともいわれている。2019年の元関脇・逆鉾の急逝によって閉鎖された井筒部屋の再興を志しているとされる元横綱・鶴竜も、横綱経験者は引退後も5年間まで現役名で親方として協会に残れる特権を利用して年寄名跡が空くのを待っている状態だ。若手親方はこう嘆く。「問題の根源は2014年に導入された70歳までの再雇用制度でしょう。現在、65歳以上の親方が参与として5人が再雇用されているが、これにより名跡の循環が悪くなった。ひと昔前は肥満が原因で定年前に亡くなることが多かったが、最近は角界も長寿社会となった。さらに70歳までの再雇用制度ができたことで、悪循環に陥っている。名跡の数は105と決まっており、慢性的に不足するようになった。 65歳から70歳までの再雇用期間の親方の給与はそれまでの70%とされ、5年間で約4000万円。65歳で年寄名跡を譲る場合、取得する側は費用としてその分を上乗せしなくてはならないというから、さらにハードルが上がることになる」 今後、松鳳山のような力士が続出すると予想されるが、再雇用制度の見直しが求められる展開もありそうだ。
2022.06.25 11:00
NEWSポストセブン
二所ノ関親方(時事通信フォト)
元横綱・稀勢の里“巨大な二所ノ関部屋”オープンに「光熱費は大丈夫?」の声
 6月5日、元横綱・稀勢の里の二所ノ関親方が、出身地である茨城で部屋開きを行なった。1800坪という広大な敷地に新設された部屋は、角界の常識を覆すつくりで話題となっているが、それだけにこれまでにない困難に直面しないかと心配する声も聞こえてくる。 新しい二所ノ関部屋がまず斬新なのは、稽古土俵が「2面」あるところだろう。相撲担当記者はこう言う。「稽古土俵は1面にして全員が一緒に集中し、土俵の外にいる力士たちは四股やテツポーで体を鍛えるというやり方がこれまでの角界の常識だったが、二所ノ関親方はそうした前例にとらわれない部屋にしようとしている。相撲部屋では風呂に入るのも食事をするのも番付上位からというのがしきたりだが、今回の部屋では風呂場に大きな浴槽が2つあり、力士でも10人くらいは一度に入れる。そんな部屋はこれまで聞いたことがありません。 大部屋の他に個室が5つあり、当面は各個室に2~3人の力士が生活するそうです。普通の相撲部屋では幕下以下の力士は大部屋で雑魚寝するのが一般的だが、大人数で過ごすのが苦手な弟子のための対策だといい、伝統を重んじる相撲界にあっては非常に革新的な試みです」 出稽古の相手が見つかりやすいように、相撲部屋が集まる両国周辺の立地が理想といわれるなか、広大な敷地を確保するために国技館まで1時間以上かかる場所を選んだのも異例である。常識にとらわれない新・二所ノ関部屋について、ベテラン相撲ジャーナリストは「1~2年後にどうなっているかが注目です」と評する。「相撲部屋の“経営”は困難な点が様々あります。必要経費のなかで言うと、ちゃんこ代もさることながら光熱水費で行き詰まることがある。大人数の力士が生活することでかかる水道代や光熱費は半端ではない。高砂一門のある部屋では、大部屋でのコンセントの個人的な使用を禁止しているところもあります。テレビやオーディオ機器の個人使用を制限し、携帯電話の充電も決まったコンセントでやるように決めている部屋もある。その観点から二所ノ関部屋を見ると、土俵が2面もある稽古場や各個室の空調費はかさむし、文字通り湯水のように使われる風呂を2つも備えていると、それらの維持費は相当、大変になるはずです」 現在は、尾車部屋から独立した中村親方(元関脇・嘉風)が二所ノ関部屋の部屋付き親方となり、内弟子を連れて合流している。ただ、将来的には中村親方も独立して部屋を構えるとみられている。「そうなると、今の二所ノ関部屋に所属する力士18人のうち幕下4人を含む10人が部屋からいなくなる。今春に入門した日体大からの新弟子2人も中村親方の内弟子です。残る力士の最高位は序二段ということになるが、序二段以下の力士8人だけでは“箱”が大きすぎるのではないか。今は中村親方がいるから、師匠2人で指導するなら土俵が2面あってもいいかもしれないが、親方が1人になったら稽古土俵は1面でないとケガも怖い。 台所事情も苦しくなるはずだ。もちろん、部屋を興せば協会からは親方の給料の他に経費が支給される。まずは力士養成費。これは力士の食事代にあたるもので幕下以下の力士1人につき毎月7万円。その他にも力士の人数に応じて稽古場経費や相撲部屋維持費などが支給されます。力士が5~6人もいれば相撲部屋の運営はなんとかなるといわれているが、これだけ大きな建物を作ってしまったとなると、維持費は大変でしょう。部屋のHPではスポンサー(後援会の法人会員)を募集しているが、どれだけ集まるかが注目されます」(同前) 部屋運営の手腕が試されることになりそうだ。
2022.06.09 11:02
NEWSポストセブン
横綱昇進時の照ノ富士と伊勢ヶ濱親方
照ノ富士の師匠・伊勢ヶ濱審判部長に「取組編成が納得できない」の声が続出するワケ
 相撲協会は5月25日、番付編成会議を開き、7月場所の新十両などが発表された。先の5月場所では3大関が総崩れするなか、休場明けの一人横綱の照ノ富士が3場所ぶり7度目の優勝した。十両で優勝したのは同じ伊勢ヶ濱部屋の弟弟子にあたる錦富士だった。“ダブル優勝”を果たしたことで伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)の評価が上がりそうなものだが、そうでもないのだという。「5月場所の千秋楽の取組があまりに微妙だったので、伊勢ヶ濱親方に対する不信の念が広がっている」(若手親方)というのだ。 14日目が終わった時点で、優勝争いは照ノ富士と隆の勝が3敗で並び、4敗の佐田の海、大栄翔の4人に絞られた。不振の大関陣は千秋楽を迎える時点で正代(5勝9敗)と御嶽海(6勝8敗)の負け越しが決まっており、貴景勝が7勝7敗で勝ち越しを懸ける一番を迎えることになる状態だった。「千秋楽の取組は八百長を防ぐために14日目の幕内取組中に発表されていたが、横綱の休場が続き平幕が優勝に絡むようになったことで、阿武松審判長(元関脇・益荒雄)時代の2019年5月場所から“いい取組を組むため”ということで、14日目は打ち出し後に取組編成会議を開き、午後7時過ぎに発表されるようになった」(相撲担当記者) 先の3月場所も2敗の若隆景と高安、3敗の琴ノ若が優勝争いしていたことで、14日目の打ち出し後の取組編成会議で、関脇の若隆景は大関の正代、平幕の高安は関脇の阿炎との対戦が組まれ、ともに負けて優勝決定戦に持ち込まれた。優勝争いをする力士を上位と当てたため、正代-御嶽海という大関同士の一番が3月場所はなく、“柔軟な取組編成”となった。 それだけに、今場所は14日目を終えて11勝3敗でトップに並んだ横綱・照ノ富士の千秋楽の対戦相手が注目された。順当なら対戦相手は大関・御嶽海だが、御嶽海はすでに負け越しが決まっていた。「審判委員から、照ノ富士と対戦させるのは、前頭12枚目で10勝4敗となっていたスピード相撲の佐田の海がいいのではといった意見が出た。優勝の可能性が残されていた3力士のうち、照ノ富士が対戦していなかったのは佐田の海だけ。千秋楽の最後の一番ながら横綱と平幕の対戦が決まりかけたが、すでに負け越しが決まった大関をぶつけることに決めたのは責任者の審判部長の伊勢ヶ濱親方だった。終盤は星の潰し合いで土俵が盛り上がっていたというのに、それに水を差すものだった」(前出・若手親方) 5月場所のNHK中継で解説を務めた元横綱の北の富士さんは、千秋楽の結びの一番で照ノ富士が御嶽海をあっさり寄り切りで下すと「こんなもんか」「気迫がなかったね」とボソッと言った。北の富士さんは場所中、中日スポーツ(東京中日スポーツ)にコラムを書いているが、千秋楽翌日はコラムを休んだ。翌々日(5月24日付)に『千秋楽結びの一番にあまりにも腹が立って……つまらん取組黙認の協会にも納得できない』とコラムを書いている。この中で「照ノ富士と御嶽海のつまらん取組を作った審判部を協会が黙認したのは納得がいかない。相撲ファンを甘く見ていると、そのうちそっぽを向かれますよ」と書いている。 直近では他にも、“首を傾げたくなる取組編成”があったために、伊勢ヶ濱親方への批判が集まっているという。5月場所千秋楽の十両の取組では、12枚目で6勝8敗と負け越していた伊勢ヶ濱部屋の熱海富士が、5勝9敗ですでに大きく負け越していた大翔丸と対戦。「この時は幕下4枚目で5勝1敗だった北青鵬と入れ替え戦を組むべきだと指摘を受けていたがやはり実現しなかった」(担当記者)のだという。「北青鵬は宮城野部屋の元横綱・白鵬(現・間垣親方)の内弟子のひとり。20歳の新鋭で、身長2メートル、170キロと体格にも恵まれ、5歳から日本で生活しているモンゴル人力士。白鵬が将来の横綱と期待している。伊勢ヶ濱一門の理事の座を狙う白鵬にとっては、親方としての実績を残すための切り札ともいえる力士。白鵬は若手を中心に親方衆の評判も良く、資金力もある。一方で、伊勢ヶ濱親方は自らの弟子である照ノ富士を将来の理事にしたいのだろうが、“足を引っ張るにしてもちょっと露骨では”という声が上がっている」(二所ノ関一門の親方) 5月場所で北青鵬は幕下2枚目で5勝2敗と勝ち越し。25日の番付編成会議で十両への返り咲きが発表された。伊勢ヶ濱親方は3年後に定年を迎えるが、一門の理事の座を巡り暗闘が続くことになるのだろうか。
2022.05.29 07:00
NEWSポストセブン
期待に応え続けられるか(時事通信フォト)
横綱・照ノ富士に“ヒザの限界説” まだまだ引退できない“一門の事情”
 上位陣総崩れとなった大相撲5月場所。最終的には12勝3敗の成績で優勝を果たした一人横綱の照ノ富士も序盤から黒星を重ねた。初日から大栄翔に敗れ、6日目に玉鷲、中日に隆の勝と金星を立て続けに配給。「3月場所は古傷の左ヒザを傷めるなどして6日目から休場したし、照ノ富士の両ヒザはもう完治はしない。上体だけで相撲を取りながら優勝争いをするのは大したものだが、今後も万全の状態で相撲が取れない場所が続きそうだ」(担当記者) とはいえ、3人の大関は揃って早々に優勝争いから脱落という体たらくで、「協会としては、照ノ富士は休場を繰り返しながらでも、(不祥事の出場停止で幕下まで落ちた)朝乃山が大関に戻るまで綱を張り続けてほしいというのが本音では」(同前)とみられている。たしかに、初場所の優勝で大関に昇進した御嶽海も、3月場所で優勝して大関候補となった若隆景も全く振るわなかった。「協会はコロナで2020年春から中止となっていた巡業を7月場所後に再開する予定です。埼玉や千葉など、力士たちが日帰りできる範囲でとなるが、巡業で欠かせないのが横綱の土俵入りなのです」(若手親方) 巡業は協会のドル箱だ。大赤字が続く協会にとって、再開による収支改善は死活的に重要なのだ。 また“一門の事情”としても、照ノ富士を簡単に引退させたくない思惑があるようだ。「師匠の伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)は、伊勢ヶ濱一門の総帥として協会の理事となったが、序列としては7番目。八角理事長(元横綱・北勝海)より3歳上で、もう理事長の目はない。指導力には定評があるが、一門が数の力で劣る“弱小派閥”で出世に限界があった。今後、一門が力を増すには、照ノ富士が横綱として実績を残したうえで伊勢ヶ濱部屋の後継者となるのが必須条件だろう」(同前) 照ノ富士は昨年8月に帰化し、引退後も協会に残る条件は満たしている。師匠の名字である「杉野森」をもらって、「杉野森正山」を日本名にした。一門関係者の期待は大きく、「3年後に定年となる伊勢ヶ濱親方から年寄株を継承した時に、一門のトップに立つ人材として相応しい実績を残せているかが重要」(ベテラン記者)になるのだという。 照ノ富士の今後には関係者の様々な思惑が交錯する。ただ、ファンが期待するのはもちろん、土俵上での横綱相撲である。※週刊ポスト2022年6月3日号
2022.05.25 11:00
週刊ポスト
「佐々木朗希vs白井球審」の感想を大相撲の立行司に聞いてみた
「佐々木朗希vs白井球審」の感想を大相撲の立行司に聞いてみた
 今季のプロ野球で俄然注目を集めることになったのが「審判」だ。令和の怪物・佐々木朗希(20・ロッテ)に対する白井一行・審判員(44)の“詰め寄り”騒動が尾を引いているが、この状況を他のプロスポーツの審判はどのように見ているのだろうか。現在、国技館で開催中の大相撲で、立行司(行司の最高位)を務めた人物に聞いてみた。 白井球審が佐々木に詰め寄った4月24日以来の“再会”となった5月13日のオリックス-ロッテ戦(京セラドーム大阪)では、場内アナウンスで「二塁・白井」とコールされると拍手が起き、翌日のスポーツ紙も佐々木の背後に白井塁審が入り込む“ツーショット写真”を掲載した。 この日は特に事件は起きなかったものの、この3連戦では翌14日にロッテの井口資仁・監督がストライク判定を巡る抗議で退場処分に。試合後、井口監督は「退場になったって構わない。しっかりジャッジしてほしいということを言っただけ」と語った。さらに15日の第3戦では球審を務めた白井審判員のストライクコールにロッテのレアードが抗議した際、暴言を吐いたとして退場となった。 こうした騒動について、大相撲の第37代木村庄之助(72。以下「37代庄之助」)はこう語る。「私もたまたまテレビであのシーン(佐々木に白井球審が詰め寄った場面)を見ていたんです。実は大相撲でも行司の軍配に対して“差し違えじゃないのか”という顔をする力士もいるんです」「行司には野球の審判のような権限はない」 ただし、行司は野球の審判とは大きく異なると話す。最も大きな違いは、行司は判定こそ行なうものの「審判ではない」という点だ。「相撲にも行司の軍配に異議を唱える『物言い』という制度がありますが、これができるのは力士ではなく、土俵下にいる審判員(審判部に所属する親方)です。物言いがつくと土俵上で協議が行なわれますが、行司は意見を言えるものの決定権はない。もちろん信念を持って軍配を上げているのですが、行司にはプロ野球の審判のような権限はないのです」(37代庄之助) そのためか、軍配に不服な力士が行司をにらみつけたりする場面はほとんどなく、土俵下の審判員に“物言いをつけてほしい”という表情を送ることが多いのだという。言うなれば、行司は「審判員のアバター(分身)」でしかないというわけだが、プレッシャーは非常に強い。立行司が左腰に帯びる小刀には「差し違えた場合は切腹する」という意味がある。また、角界では差し違えのことを「行司黒星」と呼ぶ。「もちろん“そういう覚悟”で土俵に上がっているということで、軍配を間違えるたびに切腹はできないですけどね(苦笑)。それでも三役格以上の行司が差し違えた場合は、その日のうちに理事長に進退伺を出ださないといけません。1場所で2度の差し違えで謹慎処分が出たケースもある。私は木村庄之助と式守伊之助(木村庄之助と並ぶ立行司の名跡)を9場所ずつ務めましたが、その間に1回も行司黒星はなかった。それが私の誇りだね」(37代庄之助)横綱・白鵬に物言いをつけられた一番 そんな37代庄之助にも、物言いで勝敗判定が覆った経験がある。2014年5月場所12日目の豪栄道対鶴竜の一番で37代庄之助が豪栄道に軍配を上げたところ、土俵下で物言いの挙手をしたのは何と控えにいた横綱・白鵬だった(物言いをする権利は審判員のほかに控え力士にもある)。明らかに鶴竜の手が先についており勝敗は明白に見えたが、白鵬が指摘したのは「前のめりになった鶴竜の髷(まげ)を豪栄道が掴んでいた」というもの。ビデオ検証なども経た協議の末に、白鵬の物言い通りと認められ、豪栄道の「反則負け」となったのだ。ただし、反則負けは行司の「差し違え」とはならないのだという。「150キロを超える投球のストライク・ボールを判定しなきゃならない野球も大変でしょうが、行司はもっと大変だと思う。力士2人が土俵上で激しく動き回るだけでなく、それに合わせて行司も立ち位置が目まぐるしく変わるので、勝った力士が東方か西方かを取り違えないように把握しておく必要がある。土俵際では足元から目が離せず、見える位置に回り込まないといけないし、そのために力士の近くに寄らなければならないが、絶対に取り組みの邪魔になってはならない。同体に見えても必ずどちらかに軍配を上げないといけないというのもシビアですね」(37代庄之助) 判定の難しさに加えて、行司には身の危険も伴うという。「野球の球審はプロテクターを着けているけど、行司は装束だけで防具なんてないからね。あの狭い土俵で巨体の力士2人がぶつかり合っている間に小柄な行司は立たなきゃならない。突き飛ばされた力士をよけきれずに土俵下まで転がり落ちたこともあります。危険は取組中ばかりでない。土俵下に座って控えている時に体重150キロの力士が落ちて来たら逃げられない。はっきりいって命がけでしたよ」ビデオ判定導入の“大先輩”として思うこと 今やプロ野球では微妙な判定に対してビデオ判定を要求する「リクエスト制度」が定着しているが、日本のメジャースポーツで最初にビデオ判定が導入されたのは大相撲で、何と今から50年以上前の1969年のこと。同年3月場所の大鵬対戸田の一番で、当時の立行司・式守伊之助は大鵬に軍配を上げたものの、物言いがついて判定が覆り、大鵬の連勝記録(当時)が45でストップしてしまった。ところが、ニュース映像や写真を見ると明らかに戸田の足が先に出ていたため、相撲協会には抗議の電話が殺到する。それがきっかけとなって次の5月場所からビデオ判定が導入されたのだ。大一番での大誤審が、相撲の審判制度を変えるに至ったのだが、新弟子時代の37代庄之助(当時は木村三治郎を名乗っていた)はこの一番を土俵下で見ていたという。「それ以降、物言いの協議ではビデオの助けを借りるようになり、コマ送りでどちらの力士が先に早く土俵に落ちたかを判定できるから、取り直しは少なくなったと思います。ですが、相撲の勝敗には『死に体』や『かばい手』『かばい足』という難しい判断も絡む。必ずしも先に手をついたり、足が出たりした力士の負けとは限らない。中にはつり出しで相手を土俵外まで運んだ力士の足が先に出たら『勇み足』と判断されるケースもあったりする。ビデオ判定には利点も多いけれど、もっと人間の目を信じてもいいかもしれない」(37代庄之助) 審判としての権限もなく、軍配を差し違えれば“切腹”とはいかないまでも進退伺を提出しなければならない。あまり知られていないが、行司は土俵上の判定以外にも、土俵祭の祭主、場内放送、番付書き、取組編成会議での書記、巡業での会計などの役割がある。佐々木朗希のようなスター選手をにらみつけ、元名選手の監督にも毅然とした態度で退場処分を下せる野球の審判に比べると、割に合わない役割のようにも思えてしまうが、37代庄之助はこう語る。「相撲が好きだったからね。行司になってよかったと本当に思ってます。もっと行司に権限が欲しいかって? うーん、あまり権限が強くなると、差し違えた時に本当に切腹しないといけなくなってしまうからなぁ(苦笑)」 勝負を「裁く」立場は同じでも、競技によってそれぞれに悩みと喜びは違うようだ。
2022.05.16 19:00
NEWSポストセブン
相撲稽古場をイラスト図解! 力士の成長を支える44部屋をスポーツ記者が描く 佐々木一郎さんインタビュー
相撲稽古場をイラスト図解! 力士の成長を支える44部屋をスポーツ記者が描く 佐々木一郎さんインタビュー
東京都を中心に、全国に43ある大相撲の稽古場(相撲部屋・数は日本相撲協会HPより)。力士にとっては技と心を鍛える場であると同時に、生活の場でもある。大相撲という特殊な世界に生きる若者たちは、そこでどんな一日を過ごしているのだろうか? また、それぞれの稽古場には、どんな特徴があるのだろうか?「稽古場は、親方一人ひとりの思いが反映された空間なんです」。そう語るのは、日刊スポーツ記者の佐々木一郎さん。一つひとつの稽古場の様子を、詳細な図解イラストで読み解いた『稽古場物語』の著者でもある佐々木さんに、個性豊かな稽古場とそこでの力士たちの生活などについて聞いた。相撲部屋での力士の生活とは?――佐々木さんは2015年から4年にわたり、数多くの相撲部屋(以下、稽古場)を取材されています。力士にとって稽古場とはどんな場所なのでしょうか?佐々木一郎さん(以下、佐々木):稽古場は鍛錬の場所でもあり、生活の空間でもあります。『稽古場物語』では44の稽古場を描いていますが(数は出版時点)、どの部屋も基本的なつくりは似ていますね。1階に土俵を中心とした稽古場、風呂場、調理場(ちゃんこ場)があり、2階以上が力士や親方の生活スペースになっています。関取(十両以上の力士)には個室が与えられ、それ以外の力士は大部屋での共同生活。ほとんどの稽古場は、伝統的にこの形を踏襲しています。――個室がもらえるのは関取だけなんですね。佐々木:はい。関取以外の力士が暮らす大部屋はプライベートな空間も少ないですし、不自由なことが多いです。ただ、だからこそ「早く関取になって、個室がほしい」というハングリー精神が生まれてくる。そういう狙いもあるのだろうと思います。――他に、稽古場ならではの間取りの特徴や工夫はありますか?佐々木:どの部屋も、稽古場から風呂場、ちゃんこ場までの動線がよく考えられていますね。稽古で体についた土や砂を生活空間に持ち込まないよう、稽古場と風呂場が直結していたり、勝手口から外を通って風呂場に行けるようになっていたりします。そして、体をきれいにしたあとは、そのまま1階でちゃんこを食べられる。例えば、旧二所ノ関部屋は稽古場への出入り口に脱衣所があって、すぐに風呂場へ行けるようになっていました。一般的な住宅でも家事や生活のしやすさを考えて動線を考えると思いますが、稽古場の場合も稽古と生活をスムーズにつなげるという観点で、理にかなったものになっていると思います。――ちなみに、稽古場での一日とはどういったものなのでしょうか?佐々木:まずは朝稽古。開始時間は部屋により違いますが、早朝からスタートして午前中には終わるところがほとんどです。食事は1日2回で、1回目は朝稽古終わりのちゃんこ。最初に親方と関取が食べ、その後は番付順に食べていきます。力士が多い部屋の場合、最後の人が食べ終わるのは午後2時くらいになることもありますね。その後は、関取であれば夜のちゃんこまでフリータイム。ジムなどで自主トレーニングをする人もいますし、家族がいる場合は自宅に帰って翌朝の稽古に備えます。一方、関取以外の若い衆は朝のちゃんこの片付けをした後、夕方まで大部屋で昼寝です。午後4時くらいから掃除や夜のちゃんこの準備をして、食事が終わった後は寝るまで自由時間ですね。――自由時間はどう過ごす人が多いですか?佐々木:スマホでゲームをしたり、動画を観たり、漫画を読んだりと、そこは一般的な若者と変わらないと思いますよ。もちろん稽古場やジムなどで自主トレーニングに励む力士もいます。なお、朝稽古に支障をきたさないために多くの部屋に門限があり、この2年間はコロナ禍にあるため、そもそも外出する時間に制限があります。伝統と革新が融合する、個性的な稽古場――どの稽古場も基本的なつくりは似ているということですが、それでも部屋ごとにちょっとした違いや個性は見られますか?佐々木:そうですね。本当に部屋によってさまざまな特徴があります。正直、連載の取材を始める前は、多くの部屋でネタがかぶってしまうんじゃないかと心配していました。でも、実際は稽古場ごとに違いがあり、それぞれのストーリーを感じられるんです。例えば、千葉県習志野市の「阿武松部屋」には、部屋のあちこちに美術作品が飾られていました。先代の親方が芸術を好んだ方で、弟子に対して「相撲だけしか知らないのではなく、絵など芸術にも触れてほしい。『これはなんだろう』と感じてもらうだけでもいい」という思いが込められているんです。また、東京都江東区の「高田川部屋」には、力士が突っ張りの稽古をする「テッポウ柱」が5本もあります。これは角界でもここだけですね。普通は1本しかないため、親方は現役時代、ほかの力士とケンカしながらテッポウ柱を取り合っていたのだとか。そこで、弟子たちには存分に稽古をしてもらおうと5本も立てたそうです。――親方の稽古に対する考え方が、部屋づくりに反映されているわけですね。佐々木:東京都墨田区の「鳴戸部屋」も革新的ですよ。風呂場に2つの浴槽があって、温水と冷水の交代浴ができるようになっています。これは、「血液の流れをよくして疲れをとるため」という理由からで、鳴戸親方(元大関・琴欧州)のこだわりです。親方は現役引退後に日体大に入学するなど新しいことを学ぶのに貪欲で、従来の相撲部屋にはなかった取り組みを次々と実現させています。また、いま注目しているのは二所ノ関親方(元横綱・稀勢の里)が茨城に建設中の「二所ノ関部屋」。構想では土俵を2面用意したり、大部屋もプライベート空間を重視したりと、既存の稽古場にはあまりなかった発想で部屋づくりをしています。高田川部屋の5本のテッポウ柱と同じように、土俵が2面あれば力士が順番待ちをせずに稽古に励めるだろうという考え方ですね。ちなみに、二所ノ関親方も現役引退後に早稲田大学の大学院で学んでいます。自分の経験とスポーツ科学を組み合わせ、試行錯誤しながら新しい稽古のあり方を模索しているんです。――若い親方が新しい発想を取り入れて、稽古場のありようも変わってきていると。佐々木:はい。大相撲の伝統を尊重しながらも、科学的なトレーニングや合理的なやり方を取り入れる親方は増えています。特に、学生相撲出身の親方は新しい試みに積極的な印象があります。大学の相撲部は4年間という限られた期間でトーナメントを勝ち上がるために、早く強くなれる効率のいいトレーニングを重視していますから。例えば、日本大学出身の木瀬親方(元幕内・肥後ノ海)が率いる「木瀬部屋」(東京都墨田区)は、力士を相撲に集中させるための合理性を追求しています。稽古場は冷暖房完備で、稽古をビデオで撮影し、テレビモニターですぐに確認できるようにもなっている。これは、古くからある稽古場では考えられなかったことですね。――ちなみに、立地はどうでしょうか? 両国国技館に近い東京23区内ではなく、茨城、千葉、埼玉などに部屋を構えるケースもあります。相撲に集中するための環境としては、どちらのほうがいいと思いますか?佐々木:一長一短があるので、どちらがいいとは言えません。6場所のうち半分は両国国技館で開催されるので、「通勤」のことを考えたら都心のほうが便利ですよね。でも、当然ながら都心は土地が高いので、稽古場自体は狭くなります。逆に、茨城や埼玉、千葉などの部屋は国技館からは遠いですが、かなりゆったりと贅沢なスペースがとれる。例えば、千葉県松戸市の「佐渡ヶ嶽部屋」の敷地面積は630坪もあり、力士は充実した環境で稽古に励んでいます。一方で、東京都墨田区の「宮城野部屋」はもともとバイク店だった建物をリフォームしていて、かなり窮屈なんです。ただ、そんな環境で横綱の白鵬が優勝を重ねていたことを考えると、稽古場が狭いからといって強い力士が育たないとは言えない。結局は親方の考え方次第ですよね。一般住宅でも、都心で便利さを求めるか、郊外で広さを求めるかで悩むじゃないですか。それと同じことではないでしょうか。「ただ強くなればいい」ではない――先ほど、新しい試みに積極的な親方が増えているというお話がありましたが、その一方で、あえて「昔ながらの稽古」を貫く親方もいらっしゃるのでしょうか?佐々木:もちろんです。特に、歴史の長い部屋を受け継いだ親方や、中学卒業と同時に角界入りした叩き上げの親方はその傾向が強いかもしれません。「稽古場は“鍛錬の場”なのだから、冷暖房なんて必要ない。冬は汗をかけば温まるし、夏は暑さを我慢してやるものだ」と。この根底には「相撲は修業の一環である」という考え方があります。つまり、ただ相撲が強くなればいいのではなく、人間教育にも重きを置かなくてはいけない。ですから、昔ながらのやり方を一概に時代遅れなどと切り捨てることはできませんし、どの考え方も正解なのだと思います。――確かに、ただ競技能力の向上だけを目的とするなら、そもそも相撲部屋のシステム自体が決して合理的とはいえませんよね。佐々木:そう思います。大部屋での集団生活や、ちゃんこ番、部屋の掃除までしなくてはいけないなんて、他のプロスポーツ選手であれば考えられませんよね。相撲で勝つことだけを考えるなら、ひたすら稽古だけに没頭したほうがいいし、各々が個室でリラックスし、ベッドでゆっくり休んで疲れをとったほうがいいのは明白ですから。ただ、それも全て、修業の一環なんです。大相撲の場合、新弟子検査をクリアすればプロになれます。プロ入りのハードルは低い反面、関取になれるのはほんのひと握りです。10人のうち9人は30歳くらいまでに引退をして、相撲とは別の世界で生きていかなくてはならない。だからこそ、親方は弟子たちをいかに教育し、相撲界から卒業させるかに心を砕いているわけです。稽古場とは、そんな親方一人ひとりの思いが反映された空間なんですよ。――佐々木さんのお話を伺って、稽古場を見学してみたくなりました。佐々木:今はコロナの影響で中止になっていますが、以前は多くの部屋が朝稽古を一般に公開していました。また再開されたら、ぜひ訪れてみてほしいですね。もちろん、私語をしないなどマナーは守った上で、稽古場の空気を感じていただきたいと思います。●取材協力佐々木一郎(Twitter)『稽古場物語』(ベースボール・マガジン社)(榎並 紀行(やじろべえ))
2022.04.25 07:00
SUUMOジャーナル
今春東大を卒業した須山穂嵩さん
史上初「東大出身力士」が誕生へ 相撲部屋の厳しい上下関係は大丈夫か?
 大相撲夏場所(5月8日初日)で、「東大出身力士」が誕生しそうだ。国立大卒は過去に4人いるが、東大からの角界入りは史上初。入門するのは、須山穂嵩さん(24)だ。「3月末の理事会で新弟子検査受験が承認され、178cm、99kgと体格基準も満たしている須山さんの合格は確実。夏場所で初土俵を踏むとみられます」(担当記者) 須山さんが相撲を始めたのは二浪して東大に入学した後。相撲部の勧誘がきっかけだったという。入学直後の5月に行なわれた「国公立大学相撲選手権大会」では、新人戦で3位となっている。「土俵上を機敏に動きまわって技を繰り出す宇良タイプ。ただ、私学の強豪にはなかなか勝てないことが多かった」(同前) 角界で中卒が当たり前だったのは昔の話。大関の御嶽海(東洋大)や正代(東農大)をはじめ、大卒力士が急増している。先の春場所では幕内42人中14人、十両28人中14人(中退含めず)が大学相撲部出身だ。ただし、関取まで出世したのは私学の出身者だけ。須山さんは関係者に「幕下まで3年で上がりたい」と語っているというが……。「全国大会で成績を残せば幕下や三段目の付出としてデビューできるが、そうでなければ大学相撲部出身でも前相撲から。序ノ口スタートなら十両昇進まで早くても2~3年かかる」(若手親方) 気になるのは、相撲部屋の上下関係だ。「最近は親方が注意するので部屋でのイジメは減ったが、それでも上下関係は厳しい世界。付け人制度があり、兄弟子の命令は絶対。24歳の新弟子として理不尽と思うようなこともたくさんあるはずだ」(前出・担当記者) とはいえ、新弟子の数が減っているだけに話題性抜群の東大出身力士の入門は角界も大歓迎だろう。須山さんは木瀬部屋へ入門するとみられるが、「ベストの選択では」と前出の若手親方は言う。「木瀬親方(元前頭・肥後ノ海)が日大出身で、宇良をはじめ5人の関取は全員、大学出身。所属力士の半数が大卒です。たたき上げ力士が多い部屋よりトラブルは少ないでしょう」 初の東大出身関取の誕生が楽しみだ。※週刊ポスト2022年4月22日号
2022.04.11 07:00
週刊ポスト

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