〈今、公明党は新進党として、自民党と対立していますが、私は公明党は自民党と組むべきだと思っているのです。戦後五十数年、外国からも侵略されず、国内の内戦がなかった日本は稀有の国です。それは保守たる自由民主党のおかげです。でも現在、自民党は制度疲労をおこしています。公明党というより、支援母体の創価学会には、池田先生が手塩にかけて育てた青年部がおります。また、何よりも平和を願う健全な婦人部がおります。この創価学会の青年部・婦人部と手を組んで、政局を安定させ、難局を乗り越えようではありませんか〉(前掲の寄稿文より)
自公連携というよりも「自創連携」だ。一連の経緯は野中氏の回想録などではあいまいにされており、関係者の間でも知る人はほとんどいない秘話である。
選挙区は自民、比例は公明
官房長官から自民党幹事長代理(のち幹事長)に転じた野中氏は党内外の反発を抑えながら選挙協力体制の構築を推し進めた。当時、公明党との選挙協力を強引に進める意味を尋ねた記者時代の私に、野中氏は「公明党は独自政策を実現できればいい。いずれ衆院から撤退するだろう」と答えている。本当にそうなると思っていたのか分からないが、2009年に下野した直後、公明党の「小選挙区撤退論」が浮上した時は、野中氏の言葉がよみがえった。
政党連合では内閣を共にすることがもっとも接着力を持つと説明されるが、当落を重視する国会議員の心理を熟知する野中氏にしてみれば選挙協力が影響力を持つと考えたのだろう。
さらに自公の選挙協力は極めて特殊だ。衆院選では自民党の小選挙区候補者を公明党が支援し、見返りに自民党候補が支持者に比例代表は公明党と書くよう求めるバーターが行なわれている。野中氏は、自著『聞き書 野中広務回顧録』(岩波書店)の中では〈そうでないと、一回きりの選挙で、長続きしないから〉と語り、自身がやり始めたことを明らかにしている。
自民党の小選挙区候補者から見れば公明票が、公明党から見れば比例代表票に自民票がそれぞれ組み込まれている。いびつではあるが、小選挙区を握りたい自民党と比例代表に活路を見出したい公明党が現行の選挙制度に最適化しているともいえる。所属議員単位でみれば一種の融合状態にある。