文章から漫画になったことで大きく変わる“存在感”
──この3作品のほかに、面白かった作品はありますか?
その企画性に驚かされたのが、『定額制夫の「こづかい万歳」~月額2万1千円の金欠ライフ~』(吉本浩二/講談社刊)ですね。日本のこづかいの平均は3万円程度だと言われてますが、そこには足りない2万1000円のこづかいしかない人たちの生活を描いた時に、社会のあり方や、幸せとは何かというものが見えてくるのです。
私が爆笑してしまったのは、駅のキヨスクでお酒とつまみを買って、人の邪魔にならない隙間に身をひそめて人間観察を楽しむというサラリーマンの話です。その行為を「ステーション・バー」と名付けていたんですが、こんな楽しみ方があるのかと仰天しました(笑)。
贅沢なものがなくても、小さな幸せがあれば生きていける……こづかいという切り口で、そんな市井の人たちを描いていくのは、本当にうまいと思いました。普通、人間の幸せを描こうと考えた時に、恋愛、結婚、出産といった人生のイベントをモチーフにすると思いますが、それを限られたこづかいに視点を置いたところが最高ですよね。
そしてドキュメントコミックとして外せないと思ったのが、『ケーキの切れない非行少年たち』(原作:宮口幸治 漫画:鈴木マサカズ/新潮社刊)です。
──原作は、児童精神科医が書いた新書でベストセラーになりましたが、石井さんはどういった点に注目されたのでしょうか?
この作品には、認知力が弱くて、ケーキを等分に切ることすらできない非行少年が登場します。彼らは「反省しなさい」と言われても、反省するという行為の意味がわかりません。ですので刑罰をいくら与えたとしても更生には結びつかないですし、社会生活を送っていくのも困難な状況にあるのです。
そういった境界知能(IQ70以上85未満で知的障害の診断が出ていない方を一般的に指す)の人々を取りあげて、社会に対して問題提起をしている作品になるわけですが、原作では文章で描写されていたエピソードが、漫画では絵で描かれます。
文章から漫画になったことで大きく変わったのは、境界知能の人々の存在感が強く感じられるようになったことです。もし実際に彼らと接することになった時、得体の知れない「わからなさ」を持った存在だと、相手に対して感じるであろうことが、とてもリアルに体感できるのです。
いわゆるフィクションの漫画においては、現実に起きている事象を取材して、エンターテインメントを構成するための道具として使うというところがあると思います。もちろん、それが悪いというわけではないのですが、そうした時、すべてが理解可能なエピソードとして描かれて、「わからなさ」がなくなってしまった結果、嘘くさい作品になってしまうことがあります。
この作品では、「わからなさ」を「わからないまま描けている」ことが、作品としての凄みに繋がっていると思いました。