件の映像の提供者は、テレビ局への情報提供を行うと同時に、SNSでも情報発信を始めていた。不審人物が自宅内に侵入してくる一部始終を収めた映像の投稿には「怖い」「ひどすぎる」「早く捕まって欲しい」という他のユーザーからの書き込みであふれ、不審人物による犯罪行為があった、という雰囲気ができあがっていた。そして、それを見た記者も「提供者が被害者」であると思ったのだ。しかし、それは投稿者によって都合がよい部分だけを強調した投稿だったのだ。
「提供映像の前後がカットされていた上、事実確認もできていなかった。この件を知っていて報じなかった別の社は、取材によって、実はそこに金の貸し借りや男女関係など、別のトラブルがあることを把握していたから見送っていたんです。結局、提供者女性の虚言だったわけです」(民放キー局ディレクター)
そして、事実の確認が不十分なまま事件だと報じてしまった。ネット上では、被害女性の言い分が同情的に語られていたが、事実とは異なっており、その確認が全く不十分だった。下手をしたら「えん罪事件」をテレビ局が作り出しかねなかった深刻な事例だといえる。
どんな事柄も人によって見えていること、受け止めることは食い違うものだ。当事者だからといって、真実を語っているとは限らない。人間であれば無意識にバイアス(先入観)がかかるからだ。それはネットの世界でも同じだ。とくに写真や映像などは、一見すると「動かぬ」証拠だと受け止めがちだが、そこに落とし穴があることはメディアの人間であれば承知しているはずだった。ところがネット世論の影響を受けたり、あまりの情報提供量の多さに惑わされ、作り手側もいとも簡単に呑み込まれてしまう。
「各社、とにかくネットで見られる映像を、という感じで取材している感じがあります。過激だったり面白い素材は、それだけで早く出せ、(他社に先んじて)独自でやれと上から急かされる。ネットとテレビや新聞の情報の一番の違いは、そこにあるのが確かな情報かを誰かが裏取りしている事にあったと思うのですが、このままで大丈夫なのでしょうか」(民放キー局ディレクター)
インターネット、とくにSNS普及により、情報の優劣よりも、人々の関心や注目を集めることが経済的価値を持つ「アテンションエコノミー」が強い世界になってきた今、メディアもその実力を試されているようだ。