「木の実さんが1974年から出演している舞台『ショーガール』は彼女の代表作となり、16年間のロングラン公演を記録。30代になった彼女の芸能生活は順風満帆でしたテレビや映画にも活躍の場を広げ、1978年には国民的映画シリーズの『男はつらいよ』でマドンナ役を務めるなど、トップ女優の仲間入りを果たした。歌手としても、1982年に五木ひろしさんとのデュエット曲『居酒屋』を発表して大ヒットしました」(前出・芸能記者)
そして40才を迎えた1986年、木の実は『あぶない刑事』のシリーズ第一作となるテレビドラマに出演した。
「木の実さんが『あぶデカ』で演じたのは、主人公コンビ(舘&柴田)の上司・松村優子役。超ミニのスカートやヒョウ柄の服など、刑事らしからぬド派手な衣装が話題を呼びました。それは”インパクトを強くしよう”という彼女自身のアイデアだった。出演者もスタッフも仲が良く、演技中のセリフもアドリブ満載だったそうで、笑いの絶えない楽しい現場だったそうです」(テレビ局関係者)
40代に入ってからも活躍を続けていた彼女の体に異変が起きたのは1992年、46才のときだった。動悸や耳鳴りがやまず、運動していないのに大量の汗をかき、精神状態も不安定になった。病院に行っても原因がはっきりせず、薬を飲んでも症状は改善しない。
「更年期障害」とそれに伴う「うつ症状」だと診断されたのは、症状を自覚してから4年後のこと。木の実は自らの病気を世間に公表した。
「40代以降、仕事への責任感が増したことで心身にストレスがかかっていたようです。当時は更年期障害が今ほど知られていない時代。更年期障害を告白した有名人は、木の実さんが初めてだと思う。
医師や周囲のサポートにより、やがて木の実さんは病気を克服。病名が判明し、それを公表したことで、彼女自身も気持ちがラクになったそうです」(芸能関係者)
木の実が乗り越えてきたのは病気だけではない。1990年から18年間続いたミュージカル『阿国(おくに)』で、彼女は歌舞伎の始祖と言われる「出雲の阿国」をエネルギッシュに演じてきたが、公演中のあるとき、両ひざを疲労骨折してしまう。
「歩けないほどの痛みだったそうですが、木の実さんは足にテーピングを巻き、痛み止めの注射を打ちながら、舞台に立ち続けました。幸い、両ひざは回復したのですが、彼女はその後、ケガ防止のためにジムで筋トレをするようになったそうです」(前出・芸能関係者)
不屈の精神でさまざまな困難を乗り越え、50代、60代になってからも、舞台を中心に活躍してきた木の実だが、70才の足音が近づく頃、再び大ケガに見舞われてしまう。
2015年に主演舞台『南阿佐ヶ谷の母』の沖縄公演終了後、宿泊先のホテルで転倒し、左大腿骨を骨折してしまったのだ。すぐに東京に戻り、手術を受けて入院したが、数日後には東京公演が迫っていた。
「彼女自身の強い意志で、東京公演には車椅子で出演しました。入院中の数日間、彼女は車椅子を動かす練習に必死に励み、脚本も急遽、主人公が“旅先でケガをして車椅子で戻ってきた”という設定に書き換えられた。それでなんとか公演を乗り切ったんです」(前出・芸能関係者)