生きた証を残してやりたい
上記のインタビューは1月8日、珠洲市の避難所で行ったものだ。大間さんは翌9日、家族の遺体と一緒に金沢の自宅へと帰った。そして1月13日に通夜、14日に葬儀がしめやかに執り行われた。NEWSポストセブン取材班が17日に改めて大間さんに電話で取材し、家族の思い出が詰まった自宅で過ごす現在の心境をたずねた。
「ひとつひとつの家具に思い出があるので、『もういないんだな』という思いと、楽しかった思い出がよみがえって、やっぱり悲しくて辛いです。生活ができるように掃除はしたんですけど、子供が使ってた遊び道具とかは片付ける気になれません。おそらくずっとこのままなんだろうなと思ってます。うん……。みんなが生きていたときの思い出をそのままの形で、たぶん僕が生きてる限りは残しておくんじゃないかなと思います」
辛い状況の中で、大間さんはなぜメディアの取材に応じるのか。その背景にあるのは、失った家族への切実な愛情だ。
「気を紛らわせるために忙しい状態でいたいという気持ちはありましたけど、初めて現地に取材に来ていただいたときは、正直あまり話したいとは思っていませんでした。家族について話すのは良いことなのかという葛藤もあり、ご協力しきれずにいました。
でも自分が何も語らなければ、“ある家族4名が命を落とした”という事実しか伝わらないわけじゃないですか。だけど、すみません……(涙に声を詰まらせる)。妻と子どもたちは間違いなく生きていたんだという証をどうしても残してやりたいなと思って……。僕がメディアに出ることに対して、批判みたいなものも当然あると思います。
だけど、僕は誰がなんと言おうと構いません。今は少しでも多くの人に、妻と子どもたちの生きた証というものを知ってほしい。『こうやって生きていたんだよ』っていうことを知ってほしいと思っています」
石川県は1月17日、災害関連死14人を含め、能登半島地震による死者が232人になったことを発表した。自治体別の死者数では珠洲市が99人、輪島市が98人となっている。これらの数字ひとつひとつに、それぞれの尊い人生があった。ご冥福をお祈りします。
(了。前編から読む)