自分の歌がダイレクトに伝わる喜びが忘れられない
子供の頃は引っ込み思案な性格だったが、人前で歌うことだけは臆することがなかったという。
「とにかく歌が好きで、父と一緒に民謡を習ったこともあります。4人きょうだい(3女1男)の中で、『習いたい』と言ったのは末っ子の私だけ。お風呂の中で、父の歌に『ハイヤ〜』と合いの手を入れるのが楽しかった(笑い)。幼い頃から歌う仕事に就きたいと考えていました」
11才からは、小学生ユニット「ミルク」(1979〜1980年)の活動を経て、1984年、15才のときにアイドル歌手としてソロデビューを果たす。
「正直言うとアイドルに興味はありませんでしたが、当時はアイドル全盛期。若い私は必然的にアイドル枠へ振り分けられました。デビュー前は6才上の長姉にもらったビートルズのレコードをはじめ洋楽ばかり聴いていた私ですが、どんなジャンルであれ歌えることがうれしかった。
ただ、フリフリの衣装だけは『絶対無理!』と抵抗しました。そんな服を着たこともなかったし。だから、ほかのアイドルより若干、フリフリの度合いは少なかったはずです(笑い)」
売れない期間も楽しい日々だったと、当時を振り返る。
「あの頃の新人歌手はキャンペーンが多くて、土・日は必ず全国各地のスーパーの屋上や、レコード店の店頭で歌っていました。いまほど情報が溢れていないから『何だろう?』と通りすがりの人が集まり、ついでにレコードも買ってくださる時代で……。
自分が歌い、その場でレコードを買ってくださるんですよ! それって、いちばんダイレクトな反響じゃないですか。もううれしくて。その喜びは、何物にも代えがたい財産でしたね。もちろん『ザ・ベストテン』(TBS系)にも出たいと思っていましたが、それより生のお客さんが立ち止まって拍手をしてくれることが幸せすぎて、毎日がとても充実していました」
デビューから2年目に発表した『ダンシング・ヒーロー』の大ヒットで状況が一変。寝る暇もないほど忙しい日々が始まった。
(第2回へ続く)
【プロフィール】
荻野目洋子(おぎのめ ようこ)/1968年生まれ、千葉県出身。1984年『未来航海-Sailing-』でデビュー。『ダンシング・ヒーロー』(1985年)、『六本木純情派』(1986年)、『コーヒー・ルンバ』(1992年)など、数々のヒット曲を発表。2017年『ダンシング・ヒーロー』の再ヒットで第59回日本レコード大賞特別賞、第32回日本ゴールドディスク大賞特別賞受賞。『NHK紅白歌合戦』に5回出場。今年4月3日には、作詞・作曲所ジョージ、木梨憲武プロデュースのシングル『Let’s shake』が配信リリース予定。
取材・文/佐藤有栄 撮影/小松士郎
※女性セブン2024年4月11日号