中国の温家宝首相がこのほど、天津市にある母校の南海中学(中学校と高校を併設)で講演し、日中戦争や国共内戦に巻き込まれ少年時代に極貧生活を送ったことや、父や祖父が中国共産党による政治運動で迫害を受けたことなど幼いときからの半生を赤裸々に語った。
中国の政治家が自らの生い立ちを公の場で語るのは極めて異例。温氏は自らの体験をもとに、「指導者にとって重要なことは民情、民心、民意を尊重することで、民心に背けば政権の存亡に関わる」と強調し、党内で台頭しているとされる保守派を暗に批判した。
温氏は1942年生まれで今年69歳。南海中学では12歳から18歳までの6年間過ごした。卒業してからすでに51年が経ち、今回も含めて、これまで4回母校を訪問しているが、生い立ちに触れるのは初めて。
それによると、温氏は天津市郊外の農村で生まれ、祖先は代々農民だった。しかし祖父が貧しい子供のために私設小学校を設立し校長になったものの、いつも教師と資金集めに走り回っており、祖母が生活を支えるために、漢方薬を売り、トウモロコシを育てていたという。
ところが、日中戦争のため、常に生命の危険にさらされていたほか、その後の国共内戦で、形勢不利とみた国民党軍によって村が焼き払われ、温一家は天津市内の戦災民の避難所に逃げ込むが、その途中、祖母が病気で死亡。さらに、避難所で国共両軍の激しい戦闘に巻き込まれたものの、その翌日、天津市は人民解放軍によって解放されたという。
しかし、全財産を失った温家の生活は極貧状態で、9平方メートル一間の部屋に祖父や父母、温少年ら3人の子供の6人が暮らしていた。そのような生活が、温氏が寄宿舎に入る南海中の入学まで続いた。温氏は小学校時代、ジフテリアにかかったことがあるが、その際、父親が腕時計を売った金で薬を買い、温氏はことなきを得たが、父親はそれ以来、時計を持ったことがないという。
さらに、温家を苦難が襲う。温氏が南海中学在学中、右派分子らを糾弾する共産党の政治運動である反右派闘争や百花斉放・百家争鳴運動が発動され、インテリだった祖父が身柄を拘束された上、経歴などを調査・批判された。その心労から祖父は1960年に脳溢血で倒れ、死亡。父親も批判されて、郊外の養豚所に連行され豚の世話を強要されるなどの政治的迫害を受ける。その後、父親は釈放されて、図書館の仕事を任されたという。
温氏は自然地理が好きな父親の影響を受けて、自身も地球科学に興味を持ち、北京地質学院(単科大学)に入学した。在学中に共産党に入党、成績も優秀だったため大学院で学び、計8年間の大学生活を過ごしたのち、辺境地帯の甘粛省で14年間の省政府勤務を続けた。その後、中国政府の地質鉱産部政策法規研究室主任として中央に呼び戻された後は、順調に出世して、首相にまで上りつめる。
温氏は自身の少年時代や中学・高校時代の苦難に満ちた生活を振り返って、「政策の善し悪しを図る唯一の基準は民衆が喜ぶか喜ばないか、満足するか満足しないかだ。中国は世界で最も貧困層が多い国のひとつなのだから、政府や社会は貧困層に平等な権利を与えられるかどうかが重要だ」と指摘するとともに、「国家の命は人心にあり、政府が人心に背けば、社会の発展と政権の存亡にも影響する」と力説する。
さらに、温氏は「中国は現在、(民衆を顧みない)官僚主義や腐敗が蔓延している」として政治体制改革の必要性を強調するなど、改革に反対する保守勢力を強く牽制した。新しい指導部を決める来年秋の第18回党大会まで1年を切っていることから、党内での権力闘争が激しくなっていると伝えられるが、「温氏の発言は保守派の台頭を強く警戒するもの」と北京の中国筋は指摘している。