大型の美術展が開かれるたびに高まる美術熱。しかし、実物に触れるチャンスはなかなかないという方も多いはず。特に日本美術はなんとなく、敷居が高いと思われているかもしれない。そこで、ナマの日本美術を見に行く「大人の修学旅行」を提唱してきたのが、「日本美術応援団」の団長を務める明治学院大学教授の山下裕二氏である。
今回、氏が監修する『日本美術全集』(全20巻・小学館刊)の刊行を記念して、生徒役に芥川賞作家・朝吹真理子さんを招き、江戸時代屈指の絵師・長沢芦雪の世界へ案内する。
一行が向かったのは、南紀白浜空港から車で2時間――本州最南端の町、和歌山県串本町にある無量寺。ここには、18世紀の画壇を賑わせた円山応挙、伊藤若冲、曽我蕭白らと並ぶ希有な才能、長沢芦雪の「日本一の虎の絵」がある。それが『虎図襖』だ。
そしてガラス越しではない、ナマで見られる数少ない場所でもある。本堂に足を踏み入れると当時の空間そのままに配された虎の襖絵があった。
朝吹:実は、この虎の絵が大好きで、一昨年、父がTシャツにプリントしてくれたのでそれを着て寝ていました。虎なのにどこか愛らしくて。虎というより、猫のような、なにか幻獣のような……不思議です。
山下:可愛いでしょう? この絵には仕掛けがあるんです。この虎の裏側になにが描かれていると思う?
朝吹:……なんでしょう、虎が狙っている獲物……?
山下:お、いい線いってる。裏を見てみよう。
朝吹:あ、猫がいる! 魚を狙ってる。
山下:そう、その魚から見たこの猫が表の虎というわけです。魚からみると猫も虎のような迫力に感じただろうと。
朝吹:魚眼レンズで見たような飛び出しそうな構図は、魚からの視点なんですね。
山下:この時代、日本に虎はいなかったし、芦雪も見たことがない。それで猫を参考に描いたんです。フワッとした身体に、この目、ポーズはまさに猫。
朝吹:本当、尻尾もまるで猫。やっぱり可愛い。
山下:あれだけ迫力のある虎と愛くるしい猫を裏表に描く。芦雪ならではのエンターテインメント性。遊び心があってなにかしら仕掛けがあるんですよ。
朝吹:でも、やっぱりナマって大切ですね。このライブ感──たった今まで動いていたかのような気配を、入った瞬間に感じました。大胆で野蛮なのに、繊細で。ある瞬間をとらえているのに、永遠性も感じさせられる気がします。
撮影■太田真三
※週刊ポスト2012年12月21・28日号