3月27日、再審が決まり「袴田事件」の犯人として死刑を言い渡されていた袴田巌さん(78才)が保釈された。無実の罪を着せられた弟を支え続けてきたのが姉・袴田秀子さん(81才)だ。
巌さんが拘留されて以来、秀子さんは月1回の面会を欠かさなかった。裁判でいつか真実が明らかになる。それだけを希望に、拘置所に通い続けた。
秀子さんは、いくつかの会社の経理の仕事を掛け持ちしながら巌さんを支援するという多忙な日々を送った。30万円ほどの月収は、家賃と最低限の生活費以外、すべて弟のために費やした。
「面会のたびに5万円、多い時には10万円とか20万円を差し入れていました。巌の大好物の大福もちやチョコレートもよく持っていきましたね。
私のほうは最低限の生活ができて、食べていけたらそれでよかったんです。下着1枚買うのにも悩んで、結局、100円のものを買ったり…。そんな生活でした」(秀子さん・以下「」内同)
巌さんが使い切れず、「お金はもう大丈夫だよ」と諭されることもあったが、それでも、塀の中でつらい思いをしている弟のことを考えると何もせずにはいられなかったという。
だが、そんな秀子さんの献身もむなしく、1980年12月、最高裁で死刑が確定する。死刑確定後、秀子さんの眠れない日々が始まった。
「夜、布団に入ると、巌のことばかり考えてしまうんです。悲しんでるだろうな、怖いだろうなって…。眠れなくなって、深夜なのにウイスキーのお湯割りを飲んで、ようやく眠りについても、今度は巌の姿が浮かんできて、目が覚める。そこからまたお酒を飲んで…。これを毎晩繰り返して、アルコール依存症寸前になってしまったんです」
いつ訪れるかわからない死への恐怖におびえる巌さん同様、秀子さんも苦悩する日々が続いた。そんな秀子さんを救うきっかけとなったのは、1990年代になり、巌さんへの支援の輪が広がり始めたことだった。
「夜、支援者のかたが電話をかけてくれるんですが、その時、いつも私は酔っぱらってるんです。
それが、相手にすごく申し訳なくて…。“こんなんじゃダメだ。私がしっかりしなきゃ! 私が巌を助けるんだ!”って、ある時、心を入れ替えました」
そうしてお酒を断った秀子さんは、以来、一度もアルコールを口にしてないという。1993年、秀子さんは60才になった時、借金をして浜松市内に4階建てのマンションを建てた。
「これも、巌のためだったんです。いつか巌が外に出てきた時、彼が家賃収入で生活していけるようにしてあげたかったから…」
※女性セブン2014年4月17日号