水島氏にとって幸いだったのは、興銀が、すべてを奪って裸で放り出すような真似はしなかったことだ。小田急線下北沢駅から徒歩約5分に位置する自宅には、いまも「水島廣雄」の表札がかかっている。興銀にしてみれば、個人保証があることを確定させ自らの主張の正しさが認められればそれで十分だったということなのだろう。
そのため、晩年の水島氏は、平穏に暮らすことができた。ここ数年は、聖路加タワーにある高級介護付きマンションに暮らしながら、車椅子で知人・友人との会合に出席する日々だった。
もともと面倒見がいい人で、最後まで水島氏を師と慕った経営者や社員も多く、100歳のお祝いの会には、250人もが出席したという。この数の多さが、水島廣雄という波瀾万丈の経営者の評価を、何より雄弁に物語っている。
(写真提供/月刊BOSS)