尖閣をはじめとする周辺国との領土問題、少数民族への苛烈な弾圧。世界第2位の経済大国とは思えない中国のふるまいは、果たしてどこから来るのか。他人の物まで奪い取る、その拡大志向に潜む思想を、京都府立大学准教授の岡本隆司氏が読み解く。
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日本人からは傍若無人にしか見えない中国のふるまいを理解するには、一般に「中華思想」といわれる言動の様式を把握する必要がある。
簡単に言うと、世界の中心にある中国が周辺の“野蛮な国”に君臨するという考え方である。「華夷秩序」とも呼ばれる独特の世界観だ。
ベースとなるのは儒教、とりわけ朱子学の教義に基づく上下関係である。「徳」「仁」を会得した中国の天子・王朝が常に上位に立ち、その他の国や集団は下位に位置するという秩序づけであり、他が対等な存在であるとは認めない。この上下関係は全世界に及ぶ壮大なスケールであり、歴史上、“野蛮な”種族(*注)が漢人を支配し、王朝を建国しても、結局優れた漢人に同化したという認識をとる。
【*注/北魏(鮮卑)、遼(キタイ)、金(ジュシェン)、元(モンゴル)、清(満洲)など】
この上下関係は「礼」が根幹にある。例えば君主のもとへ参じ、頭を垂れて貢ぎ物を差し出す使者に対し、中国王朝は深い仁徳と厚い恩恵を授ける。この一連の儀礼を「朝貢」といい、朝貢を行なった周辺国は中国王朝の下につく「属国」とみなされた。
こうして、中国は常に「上から目線」で周辺国と接してきた。単なる傲慢や思い上がりではなく、長きにわたる儒教イデオロギーを根拠とした、ごく自然体の思想がその根幹にある。他から資源や領土を奪っているという感覚はなく、むしろ国内で行動しているという意識なのだ。
だが「属国」とみなされた周辺国は、必ずしも主権を?奪されて完全に支配されたのではない。朝貢は多分にセレモニーであり、中国に頭さえ下げておけば「礼」が成立し、実効的な支配を伴わない交流関係ができたのである。
そうすることで「属国」は、貿易交流を活発に行なうなど、「実利」をとったのだ。
※SAPIO2015年1月号