3は、どちらも呼び掛けられている内容が抽象的なので、誰が何をやればいいのかや何を目指せばいいのかが曖昧です。4も、政府が「一億総活躍」を唱えてくれたら、今の自分が活躍できていないのは社会のせいだと思えるし、「一億総懺悔」という言葉があったおかげで、結局は誰も本気で懺悔しませんでした。
そして5つ目の共通点としてあげられるのは、唱えている側も聞かされた側も、本当に実現するとは思ってないこと。なんせ3で言ったように誰が何をやればいいのかがわからないので、実現のしようがありません。
どうやら、ふたつの「一億総○○」の共通点から浮かび上がってくるのは、大人のおためごかし力や大人のその場しのぎ力や大人の本質ごまかし力といった、大人のズルさが凝縮されたマイナスの大人力ばかり。「一億総懺悔」を「一億総動員」に入れ替えても、ほぼ同じことが言えそうです。
ただ、清濁併せ呑むのが大人の懐の深さに他なりません。たとえば、会社でもっともらしい目標を掲げなければならない場合は、「営業部総活躍を目指します」とか「5人総活躍のチームを作っていこう」と言っておきましょう。「総懺悔」も、いちおう大げさに謝っておく必要があるときに活用できます。
共同通信社が行なった全国緊急電話世論調査によると、「一億総活躍」という方針に対しては、「期待する」が44.8%で「期待しない」が48.1%だったとか。残念ながら、あまり期待されていないようです。どうせなら夢は大きく、何かの間違いで「一億総一億」という言葉が生まれて、究極のバラマキ政策を実行してくれることを期待しましょう。あっ、それだと対象にならない人が出てしまうので、「一億2685万総一億2685万」のほうがいいかな。まっ、どうせ妄想なのでどっちでもいいですね。失礼しました。