削ぎ落とした業態で「安くてうまい」がウリの店でも、些細な粗相でクレームが入る。一見の客相手にでも、ヘタな対応をすればネット上に炎上ネタとして書き込まれる。いいか悪いかは別として、水彩画のように抽象的な温かかさを伴っていた飲食店の趣は、稚拙なデジタル画のようにわかりやすい”コスパ”と、マニュアル通りの客あしらいに置き換えられつつある。
今回の出来事は、たまたまテナントのカフェで起きたかもしれない。だが実は入店を拒否したのは、他者に対する不寛容な社会の空気――つまり、われわれ自身が入店を拒否したとも考えられないか。いつ誰から非難されるかわからない社会的空気が漂っているからこそ、目の前のルールにしがみつき、頑迷に「正しさ」を主張してしまう。あちらこちらで、そんな光景を見ることが増えた。
飲食店は象徴的なサービス業である。「サービス」という言葉を辞書でひくと「相手のために気を配って尽くすこと」(大辞林)とある。互いに気を配り、尽くす余裕を作るためにも、もう少し寛容な社会でいられないものか。ネット上で過剰な炎上案件を目にするたび、そんなことを思う。そう思いながらも、こうしてネットメディア向けの原稿を書いている。