どんな世界に身を置いていても、大なり小なりケンカは起こるもの。旧日本軍の軍人同士にもケンカはあった。太平洋戦争開戦時には内閣総理大臣となる東條英機と、帝国陸軍の異端児と呼ばれた石原莞爾・元陸軍中将である。
満州事変を成功させた後、満州を独立国として「五族協和」を目指した石原を、拡大論・強硬論の東條は相手にしなかった。理想主義的な石原の構想を東條は非現実的だと一蹴する。
気性の激しい石原は東條と真っ向対立。「東條上等兵」と呼んで馬鹿呼ばわりするなど上官を上官と思わぬ態度をとり続けた。結局、両者の対立は東京裁判に至るまで解消することはなかった。帝京大学の筒井清忠・文学部教授は言う。
「戦後、東條との確執について尋ねられた石原はこうも言い放つんです。『そんなことはない』『東條には思想も意見もない。私は若干の意見をもっていた。意見のない者と、意見の対立はない』と」
戦後、戦犯指名を免れた石原をいまでは英雄視する向きもあるが、筒井教授はこうした見方に異を唱える。
「石原は“近代西洋文明によって人間は毒されている”という農本主義の思想が強く、それが満州における協調路線にも結びついた。これは現代のエコや反原発の思想にも繋がりやすく、再評価の気運もあるようだが、元はといえば満州事変を引き起こしたのは石原。どちらかが善・悪ということではない」(筒井氏)
※SAPIO2016年2月号