「討死」や「謀殺」、「自決」によって英雄の最期はドラマチックに語り継がれるが、「病」に苦しみ、「病」と闘い、「病」に斃れた歴史上の人物の悩みはあまり知られていない。豊臣秀吉(1537~1598年。享年61)の死因は何だったのか?
農民から天下人となった豊臣秀吉。若い頃は麦飯などを好んでいたが、権力の座についてからは贅沢な生活を送っていた。50代後半になると体調を崩すことが多くなり、1598年5月、端午の節句の諸将との接見後に倒れた。
食欲の減退、不整脈や下痢などの症状に加え、昏睡と精神錯乱をくり返し亡くなったことから、食生活から来る慢性腎不全となり、尿毒症を患っていた可能性が高い。死因には胃がんや脚気説などもある。
※病名などについては『戦国武将の死亡診断書』(酒井シヅ監修/エクスナレッジ刊)などを参考に記したが、病名や死因については諸説ある。生年・没年については『コンサイス日本人名事典』(第4版/三省堂)などを参考にした。享年は満年齢を基本としたが、出生・死亡日が不祥のものは数え年で表記したケースもある。
■監修/酒井シヅ(順天堂大学名誉教授)
※SAPIO2016年6月号