確かに井阪氏はこれまで鈴木氏の薫陶を受けながらも、一貫して“現場主義”と“チームワーク”を大切にしてきた。大卒後、セブンイレブンに入社し、商品本部食品部長を務めるなど、コンビニ一筋36年のキャリアを持つ。
「とにかく食に対するこだわりが強い人で、コンビニの弁当や総菜の味を引き上げたのは井阪さんの力といっても過言ではありません。
セブンイレブンは弁当の味付けや蕎麦つゆ、おでんダシなどを開発する独自の調味料専門工場を持っているのですが、そこにも妥協を許さぬ井阪さんの細かいこだわりが詰まっています」(『コンビニエンスストア速報』編集長の清水俊照氏)
2005年にセブンイレブンが料理人・道場六三郎氏監修の特製弁当を発売した際には、井阪氏が道場氏の元に何度も足を運び、ダシの種類や量、調理工程を見直す作業を繰り返し依頼したため、しまいには道場氏を怒らせてしまったというエピソードも残っている。
また、セブンイレブン社長就任後の2012年、食事のお届けサービス「セブンミール」の新サービス発表会に現れた井阪氏は、自らエプロン姿になって「海老とイカの八宝菜」の調理を実演してみせた。
そこまでコンビニの商品開発に情熱を燃やし続けた井阪氏でも、毎日昼に行われていた役員試食会で、鈴木氏から冷やし中華で11回、カツ丼で10回のダメ出しを受けたことは語り草になっている。
「もちろん時にはトップダウンも必要だが、イノベーションのタネは現場にあると信じている」
5月26日の会見でも、現場主義を貫く姿勢を崩さなかった井阪氏。
「これまで現場の意見を集約しても鈴木氏の“鶴の一声”で翻ることは珍しくなかった。逆にいうと即断即決のスピード感がセブンイレブン躍進の原動力になっていただけに、今後の井阪体制には不安もある」(前出・清水氏)
もちろん、鈴木氏を超えるカリスマ性を期待するのは不可能だが、コンビニ業界は3位のファミリーマートがサークルKサンクスと統合してセブン追撃態勢を整えるなど、業界再編のスピードは速い。また、井阪氏はホールディングスのトップとして、不採算グループのイトーヨーカ堂や百貨店のそごう西武、通販会社ニッセンの構造改革など、今後手をつけなければならない問題は山積している。
現場の担当者や社員の意見を重視するボトムアップ経営と、スピード感をもった組織改革──。井阪氏は一見相反するこの課題をどうやってクリアしていくのか。カリスマが去った巨大流通王国の舵取りは、決して生易しいものではない。
●撮影/横溝敦