そして、あのドラマを見た翌々日に、たまたま仕事で読んだ『年上の義務』という新書がこれまた良かった。著者は、『ゼブラーマン』などの代表作があるマンガ家の山田玲司。
山田は、〈はっきり言ってこの国の「年上の人間」は相手にされていないのだが、自分がバカにされていることに、年上は気づかないのだ〉と、日本の中高年を挑発する。そして、年上が言動を変えれば、年下も心の扉を開くと言う。なぜなら、〈本来、年下は年上の人間を「尊敬したい」からだ〉。
年上の立場にある者には3つの義務があると、山田はひたすら説く。「愚痴らない」「威張らない」「ご機嫌でいる」ことが、尊敬される年上像の最低条件であるそうだ。
〈愚痴らず、威張らず、ご機嫌でいれば、自動的に周りに人は集まり、不幸な孤独は減っていく〉
幸せそうな人は幸せになる、ということだ。まったくもってその通りだし、そんな上司や先生や親をもった部下や生徒や子供はとてもラッキーだ。こういう人になればいいんだ、と安心して歳をとることができるからだ。
だが、「愚痴らない」「威張らない」は心がけでどうにかなりそうでも、いつも「ご機嫌でいる」のは難しい。言うは易しで、理想論にすぎないのでは? 〈威張らずに機嫌よくしていたい、とは思うのですが、人間なのでなかなかそうはいきません。そうまでして年上は年下に対して演技をしなければいけないのでしょうか?〉という問いに、山田はこう答えている。
〈その気持ちはわかります。どうにもならないときは、誰にでもあると思います〉
〈もし、「どうにかしたい」という思いが少しでもあるのなら、意識をしていれば少しは改善されていくと思いますし、それでもどうにもならないときには、なるべく人に会わないようにすればいいと思います〉
不機嫌なときはなるべく人に会わないようにする──。なるほど、そうまでして自分をコントロールする「義務」が年上にはある、ということを言っているのだ。
山田自身が不機嫌なときは、〈気の済むまで部屋にこもって、誰とも連絡を取らないようにするか、最近はホットヨガに行くことにしている〉そうである。自由業だからできる方法ともいえるが、そのくらいの意識でいれば、たしかに不機嫌な空気をあたりにまき散らすことは減るだろう。勤め人でも、自分の感情の収め方は個々に工夫ができるだろう。
平たい言葉で同じことを繰り返し主張しているせいか、薄っぺらい自己啓発本という感想もあるようだが、あなどれない一冊だ。
著者の山田玲司は1966年生まれなので、『重版出来』の和田編集長とほぼ同年代である。例えば、アラフィフの2人がそんなことを言ったり書いたりして、同年代の私もそうだその通りだと頷いている。いい歳をして青臭いなと思わないでもないが、そうやってどうにかこうにか歳を重ねていく。