元五輪選手という経歴を武器に、マスコミ界に転身した2人の女性がいる。アテネ五輪(2004年)のシンクロナイズドスイミングでチーム種目銀メダルに輝いた川嶋奈緒子(現35歳)は本大会前の合宿で、井村雅代コーチから徹底的に絞り上げられた。
6~23時までという壮絶な練習を終えた後、「今日の練習どうだった?」との問いに「死ぬ気で頑張りました」と答えた選手がいた。井村は事もなげに「死んでへんやん」と呟いた。
「メダルは嬉しかったけど、やっと終わったという気持ちが強かったです」(川嶋)
北京(2008年)も出場し、チーム5位タイで競技生活に終止符を打つと、番組制作会社に就職した。きっかけはアテネ後に足の指を骨折したことだった。
「国立スポーツ科学センターでリハビリをしていた時、他競技の選手たちに出会って話を聞くと、どれも興味深い。それを伝える仕事ができたらと」(同前)
現在、テレビ朝日のスポーツ番組に携わり、リオでも水泳競技を担当する。
「家に帰れないほど忙しい時もありますが、井村先生に怒られたことに比べればたいしたことないですね(笑い)」(同前)
青山綾里(現姓・西澤/34歳)は、新聞記者として水泳を伝えている。中学生でバタフライの日本記録を樹立し、日本選手団最年少の14歳でアトランタに出場。金を期待された本大会ではプレッシャーに襲われ、スタート台に立つと足の震えが止まらなくなった。
「生まれて初めての経験でした。自分がどこを泳いでいるかよく分からない状態で、逃げ出したい気持ちだった」(青山)
6位入賞も悔しさだけが募り、レース後に記者の前で号泣した。シドニーの選考会では落選。彼女は水泳を「辛い」と感じるようになる。
「周囲から『元五輪選手』と見られていると強く感じてしまって……。どこかで昔の自分と比べてしまっていた」(同前)
大学3年で一線から退くことを決意。その直後、自分の水泳体験を小学生に語る機会に恵まれ、人に何かを伝えることに魅力を覚えた。2004年、産経新聞社に入社し、5年目に運動部に配属され、取材で再び水泳と向き合った。
「ロンドンに至るまでの4年間を追い続け、純粋に選手を応援したくなった。この仕事があったから、一度嫌いになった水泳をまた好きになれました」(同前)
ロンドン五輪の取材を機に10年ぶりに泳ぎ始め、現在はマスターズのレースにも出場している。
(敬称略)
●撮影/渡辺利博
※週刊ポスト2016年8月12日号