土光は創業者ではなく、いちサラリーマンだった人だ。その原動力となったのが、「野ネズミ」の精神だったのだろう(*注)。それを培ったのは計4回も受験に失敗したことかもしれない。彼は、努力を重ねて希望の学校に入った。石川島重工業(現IHI)に入社後は、国産のタービンを我が国の技術で作ろうと死にものぐるいで努力し、実現した。自分はサラブレットではないという自覚があったからこそ、「努力の人」であり続けた。
【*注「サラブレットはカッコいいが、僕はそれよりも野ネズミのほうが、より強いと思うわけです。(中略)野ネズミは踏まれても蹴られても、へこたれない生命力を持っている。人間だって、その本質に変わりはなく、いざとなれば野ネズミのしぶとさを持つ者が、サバイバル戦争に勝ち残る」(『土光敏夫大事典』)】
そして土光が「自主・自立」と共に重んじたのが「共助」だ。
〈ボクはね、人間関係の基本は、思いやりだと言っとるんだ。(中略)助け合う。これは人間の、言ってみれば根本だよ〉(『土光敏夫 日本への直言』)
土光は市場に競争が必要だとは言っていたが、一方で弱者への思いやりがある人だった。職場で「使えない」というレッテルを貼られた人がいれば「俺の部下にしたい」と言ったそうだ。 働くのは地位のためではない。自らは清貧を貫きつつ、競争を勝ち抜く野ネズミのタフさと弱者への思いやりを持ち合わせる。それが今の日本のリーダーに必要な素質ではないだろうか。
※SAPIO2016年10月号