余命宣告された患者の最後の砦とりでとなり、1000人以上の命を救ってきた、世界的に有名な移植外科医の加藤友朗さん(53才)。現在、ニューヨークを拠点に活躍している加藤さんは、ドラマ『ドクターX』のモデルになり、現代の『ブラック・ジャック』ともいわれている。
女性セブンの記者が取材した日は、加藤さんが半年に1度、アメリカで移植した患者の術後を日本で検診する日だった。患者たちは皆、「先生が珍しく白衣を着ている」と話していた。
アメリカでは加藤さんは白衣をほとんど着ない。そこには“医師”と“患者”という垣根を作らない、加藤さんなりの想いがあるからだ。
「手術は医師だけではできない。患者さんと共に闘わなければならない。特に医師と患者の出会いは最初が肝心だと思っています。だから、初めて会った最初の5分間は、患者さんと無駄話をすると決めているんです。
人間関係の構築は、すぐにはできません。ちょっとした雑談の中で、お互いの人となりが見えてくる。そうして信頼関係を築いていくんです。
患者さんは医師と相談したいし、不安な気持ちで話したいことがたくさんある。対話の時間を充分とることがお互いの絆に繋つながるんです」(加藤さん)
診療数を多くとらねば採算がとれない日本の医療制度では、対話に時間をかけて診療するのは、そもそも無理があると加藤さんは話す。患者さんと話すとき、常に笑顔を絶やさず、彼らが納得いくまで話を聞いていた加藤さん。命を失うリスクがある手術をすることに「怖い」と思ったことはないのだろうか──と聞いてみた。
「“大丈夫”という確信がない限り、ぼくはメスを入れません。だから患者さんにも“大丈夫”と自信をもって言えるんです」(加藤さん)
そんな加藤さんが命を救ったのが、當間歩夢さん(34才)。當間さんは、『先天性胆道閉鎖症』という病気で、14才の時に母親の肝臓を一部移植。21才の時に吐血して倒れ、日本での移植は不可能と言われた。「病室にふらりとやってきた黄色いポロシャツを着たおじさんが“大丈夫。まあ治るよ”と。“この人、医者?”と思いましたが、初めて“死にたくない”と思い、涙が出ました」(當間さん)。それが加藤さんだった。その後、彼が担当医になり、移植は成功。現在、當間さんは2児の父になった。
また、大橋之歩さん(51才)と陽佑くん(12才)も加藤さんに救われた。双子で生まれた大橋陽佑くんは生後半年で、重度の腸捻転を起こし、胃から下のほぼすべての臓器が壊死。1才のときに、大腸、小腸、肝臓、脾臓、膵臓、胃の6臓器を連結したまま移植する、日本人初の多内臓移植をアメリカで行った。父の之歩さんは、「加藤先生はとにかく話を聞いてくれる。親の意見も尊重してくれて、納得して手術に挑めました。あの頃、先生だけが陽佑の命の希望だった」。現在、陽佑くんは12才。「先生とお酒を飲むのが夢」と笑顔を見せた。
※女性セブン2017年1月1日号