お笑いタレントのキングコング西野の絵本「えんとつ町のプペル」(作者・にしのあきひろ)が売れている。しかしコラムニストのオバタカズユキ氏が「文章は下手」と指摘する。ではなぜ売れているのか。その戦略に注目した。
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もう30年近く出版業に携わっているが、ベストセラーになる本はなんだかんだ言って面白い。文体や世界観などが自分に合わなくても、実際に読んでみると、「なるほど、ここに惹かれる読者は多いぞ」と評価すべき面がある。
ところが、いま現在、売れに売れて、1月23日には25万部を突破したという絵本『えんとつ町のプペル』はまるで面白くない。作者のにしのあきひろ(キングコング西野)によるネットの炎上商法云々が問題なのではなく、本の中身が、申し訳ないけれども、つまらないのだ。絵の背景がすごく緻密であること以外、評価できる面がない。
どうつまらないのか。一言で表すと、この絵本は作品として未完成なのである。試し書きみたいな段階の原稿だ。
絵本は「信じぬくんだ。たとえひとりになっても」から始まる。このセリフは少年主人公の心の支えであり、作者がもっとも読者に伝えたかったメッセージに違いない。しかし、そうした思いをなぜ少年が抱くのか、文章からもキャラクターの様子からも気持ちが伝わってこない。
父が事故で亡くなっているため、少年は煙突掃除の仕事をしている。でも、独りで寂しそうとか、ハードな仕事で辛そうといった描写はない。母親と笑顔で歓談中の食卓には、お皿にこんもりのハンバーグ料理、バスケットに何種類ものパン。貧乏で苦しんでいる様子もなく、本の前半の少年は元気な普通の男の子で、「信じぬくんだ。たとえひとりになっても」というセリフの切実さとピントが合わない。
少年は、ハロウィンの日に生まれたゴミ人間と仲良くなる。本のまん中あたりで、町の子供らから「なんでゴミ人間なんかとあそんでんだよ。空気よめよ。おまえもコッチに来い」と迫られるシーンはあるが、実際、ゴミ人間はとても臭く、少年がひどく理不尽な目にあったとはいえない。
だが、その直後、少年はゴミ人間を激しく責める。「……またくさくなってるじゃないか。そのせいで、ぼくはきょう、学校でイジメられたんだ。いくら洗ってもくさくなるキミの体のせいで!」。仲良しから拒絶への変化が唐突で、ますます少年に感情移入できなくなる。
というように、とにかく主人公の人物設定がぼやけていて、キャラが立っていないのである。まだまだ練りが必要なのだ。
後半に入って、それまで受け身一方だったゴミ人間が、「いそがなきゃ。ぼくの命がとられるまえにいこう」と雪の夜に少年を連れ出すのも唐突だ。そして、〈たどりついたのは、ひともよりつかない砂浜〉で、そこには大きな壊れた船、向こうに海。あれ? 本の最初に〈4000メートルの崖にかこまれ、そとの世界を知らない町がありました〉とあったのは何だったのか。閉塞社会を描いていると思って読んできたのに、海原が広がっているのかい。
そこからはオチに向かって場面が進んでいくのだが、少年とゴミ人間のやりとりがご都合主義と言うしかない。具体的に説明していくとコラムが終わらなくなるので、あとは絵本を読んでいただきたい。ご存知の通り、この絵本はネット上で無料公開されている。