「この人ら、ものすごく強い」
なにがどう強いのか、彼の言葉を借りると、
「当然の手を当然に指す」
将棋の指し手には発想の豊かな手を「鬼手」「妙手」と形容したりするが、おっさん棋士の指し手には鬼手も妙手もない。ただただ、プロから見れば「そらそうだよな」と思うような平凡な手を指していく。その代わり悪手もない。素人からすれば外連味の無いつまらない勝負でも、プロになろうともがいている若者だからこそ、その平凡さの凄みがわかったという。
「奨励会では実力に波がある人がいます。私もそれが悩みだったんです。強いときと弱いときの差が激しい。だから当然の手を指し続けるこの人たちはすごいなと感心したんです」
平凡を積み重ねていくことの難しさ、大切さというのは、棋士だけでなく他の仕事にも言えることではないだろうか。一流やスターを目指さなくても、二流や三流の生き方を選んでもいい。
私がおっさんになってから気付いたことを20代でわかった彼は、プロ棋士にはなれなかったが全国屈指に入るアマチュア棋士の強豪として、平凡を極めつつある。