今年はロシヤ革命から百年に当たる。ロシヤ革命の目的の最重要のものは「平等」である。中でも貧富の差をなくす経済的平等は共産主義の核と言える。
ロシヤは、革命当時、西欧先進国と較べ経済的に後進国であった。19世紀後半まで農奴制が残っていたくらいだ。農奴はどれほど農作業に励んでも収穫は自分のものにならず、そのため「自分の土地」が欲しかった。一方、マルクスが革命主体と考えたプロレタリアート(主として都市の工業労働者)は、工場などの生産手段が欲しいわけではなく、労働に見合った収入を求めていた。それ故、生産手段の公有化という政策は容易に受け容れられた。
このように、労働者と農民とでは大きく精神構造が違う。これが革命後、大きな問題となる。
ソビエトロシヤは、革命後、第一次大戦時の出費や内戦のため、経済的混迷に堕る。当然生産を上げなければならない。だが、農民の生産意欲は低下の一途をたどる。いくら働いても、収穫物は自分のものにならないからである。やむなく政府は1921年から「新経済政策(NEP)」を採る。最小限の納税さえすれば、後は自由販売してよいとしたのだ。
NEPによって一気に生産は上がった。だが、しばらくして当然のように富農と貧農の格差が生じた。NEPって、つまり資本主義じゃないか。これはまずいというので1928年には再度農業国営化(集団農場化)が行なわれ、また経済の低滞化が始まった。平等を実現しよう、貧困の平等を、という社会が以後60年続いた。
ロシヤの後を追った支那は、1985年前後から「先富論」を採った。先に富を築ける者が豊かになればいいというわけだ。これも資本主義回帰だ。支那では共産主義者が資本主義を推進する。民衆の中には、平等に貧しかった地獄の時代を懐しむ声も聞かれる。平等は「自明の理想」ではないのである。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
※週刊ポスト2017年3月10日号