物忘れや記憶力低下を防止するためのトレーニングは重要だ。しかし、「忘れること」を過度に怖れる必要はない。過去のあやまち、辛い思い出を忘れていけるからこそ、人間は前向きに生きて行けるという側面もある。横浜新都市脳神経外科病院内科認知症診断センター部長の眞鍋雄太医師は、「『忘れること』には、“間の心と体を守る役割”があるのです」と語る。
旭日中綬章を受章したほか、25年間にわたり芥川賞の選考委員も務めた84歳の作家・黒井千次氏は、「歳を重ねると、取るに足らない情報を忘れられる。気取った言い方をすれば、“物忘れは神様からのプレゼント”かもしれないね」と話す。
「重要だと思わないことはどんどん忘れてしまいます。だから私の記憶には、生きるために必要な大事なものだけが残っている。過去に大喧嘩した相手のことは忘れませんけどね。きっと忘れちゃいけない、大事な記憶なのでしょう(苦笑)」
『不幸な認知症 幸せな認知症』の著者で東京医療学院大学教授の上田諭医師はこう語る。
「これまで物忘れに悩む人と数多く接しましたが、実は本人は物忘れをそれほど苦にしていません。むしろ辛いのは、『また同じことを言っている』『何でこんなことができないの』という家族からの声だと訴えてくることが多い。
ある家庭では、認知症の母親に向かって娘が毎朝、『今日は何月何日か言ってみて』と質問していました。母親が答えられずもじもじしていると、娘は『今日は〇月〇日でしょ!』という。こんなことをされると誰でも心が沈みます」
物忘れは誰にでも起こる。大切なのは、本人と周りの人々が、それにどう対処するかなのだ。
※週刊ポスト2017年5月5・12日号